日々に疲れた現代人必見!寒さも和らぐヒーリングマンガ『町田くんの世界』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第18回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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人の温もりを感じたいとき読むマンガ
『町田くんの世界』安藤ゆき

 まだあちこちに紅葉も残っているというのに、冬本番を思わせるような日が続くようになった。先週(24日)には、東京でも54年ぶりの11月の雪が降った。あわてて暖房器具やコートを出したという方も多いのではないかと思う。我が家でもこたつを出して、さっそく鍋で一杯を楽しんだ。ほこほこと温かいものが恋しい季節の到来である。温かい料理やお酒も欲しいけど、人の温かみはなお恋しくなる。
 こんな時期にはマンガも暖かさを感じさせてくれるものがいい。というわけで、今週ご紹介するのは、安藤ゆきの『町田くんの世界』である。

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 実は私、このマンガを勝手にヒーリング・マンガと呼んでいる。読んでいると、心のササクレが取れて、温泉にでもつかっているようなリラックスした気分にさせてくれるからなんだけど……。
 主人公の町田一(はじめ)くんは16歳。高校1年生。5人兄妹弟の長男で、お母さんのお腹には6人目が入っている。身重の母親を慮って、朝食をつくり始めた町田くんだが、まともにつくれるのは今のところ卵料理だけ。もちろん、兄弟の面倒もよくみる。妹や弟はお兄ちゃんが大好きで、「お兄ちゃんかっこいい」といつも言っている。
 しかし、メガネをかけた外観にもかかわらず学校での成績は普通よりもちょっと下。体育は苦手。いまだにアナログ派。もてたことがない、と本人は信じている。
 基本、不器用なのだ。「得意なことはなにもない」と自負する町田くんだが、実は人一倍優れたことがひとつある。それは、人を愛し、知らないうちに人から愛されているということ。とにかく人間が大好きで、他人に対する思いやりに満ちているのである。そんな町田くんの日常と、周囲の人々とのハートウォーミングな関係を描くのがこのマンガだ。

 同じクラスの猪原さんは、クラスに馴染めないでいる女子。人付き合いを避け、授業をサボっては、保健室や屋上で時間を潰している。ある日、彫刻刀で指を切った町田くんは、保健室で猪原さんに遭遇。不在の保健の先生に代わって手当をしてくれた猪原さんに、「ありがとう 君がいてくれて ほんとうに良かった」と声をかけた。これをきっかけに、猪原さんは閉ざしていた心をゆっくりと開きはじめる。彼女に必要なのは自分を大切に思ってくれる人の存在だったのだ。
 かつて妹のニコの同級生だった中学生のひなたくんは、小学校3年の時に中学生達にからまれていたニコを救えなかったトラウマから、気弱な性格になってしまい、部活の柔道でも負けてばかり。町田くんは久しぶりに会ったひなたくんを夏まつりに誘う。自然にニコと再会させるために。

 大好きな彼氏と別れて苦しんでいる女子高生や、最愛の伴侶をなくした一人暮らしのおじいさん、気の強い美人ゆえに婚活に失敗してばかりだという幼稚園時代の先生、「世の中はバカに満ちている」と、他人をつい見下したように振舞ってしまう孤独な小学生などなど、どこにでもいるさみしい人たちを、町田くんは思いやりで優しく包んで、幸せにしていく。
 町田くんの得意なことが「人を愛し人から愛されること」と書いたけど、町田くんは愛されたいから何かをしているわけではない。愛されるのは結果であって、彼はいつだって相手を思い、相手のために行動しているだけ。それが自然と相手の心を動かすのだ。
 ファンタジーかもしれないけど、それでいい。読んでいる人はしばし、幸福な気持ちになれるのだから。私は子どものころ読んだオスカー・ワイルドの短編『幸福の王子』を連想したが、町田くんの場合は自己犠牲ではなく、自分にとっても幸せなことをやっているだけ。そこが素敵なのだ。

 第3巻の11話「誰かを想うこと」は、そんな町田くんの姿を第三者の目で捉えたお話。
 サラリーマン・吉岡は、仕事がうまくいかず、4年間つきあってきた彼女ともぎくしゃくして、「世界は悪意に満ちている」と思い込んでいる。彼みたいに世の中を恨みながら生きている人は決して珍しくないはずだ。ある日、吉岡は電車の中で楽しそうに話す町田くんと猪原さんを見かける。そして、老人に席を譲る町田くんの姿に触れて気が付く。
「俺は 他人の思いやりのなさに 失望していた けど 俺自身に思いやりはあったか?」
 幸せになれるかどうかは、世の中をどう見るかの問題かも知れない。きっとそうだ。町田くんのこんなセリフが心に残った。
「片眼を閉じると 世界は少し その見せ方を変えた」「さあ 明日からまた 両眼をしっかり開けて いくんだ」
 眼というのは顔のパーツの眼ではなく、「心の眼」のことなんだろうね。町田くんのように生きられたらなあ。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2016年11月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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