感情の機微を見事に描く、恋も電書もわかるマンガ家マンガ『うそつき*ラブレター』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第26回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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アラサー・マンガ家とアラフォー編集者の恋?
『うそつき*ラブレター』やまがたさとみ

「マンガ家マンガにハズレなし」という名言を吐いたのは、マンガ解説者の南信長氏だ。たしかに、マンガ家やマンガ編集者が登場するマンガには駄作がない。先日、非常勤で教えに行っている学校で「マンガ家マンガ」について説明し、さまざまなヴァリエーションの作品を紹介したら、「読みたい」と手を挙げた学生がたくさんいた。マンガ家になりたい学生ではなく、CGアーティストやゲームデザイナーを目指す学生たちだったので、ちょっと意外な気もしたが、同じクリエーターということで興味がわいたのかもしれない。
 紹介したのは1960年代の『漫画家残酷物語』(永島慎二)に始まり、70年代の『まんが道』(藤子不二雄A)、90年代の『燃えよペン』(島本和彦)、『編集王』(土田世紀)、00年代の『バクマン。』(大場つぐみ/小畑健)、『失踪日記』(吾妻ひでお)、10年代の『重版出来!』(松田奈緒子)などなどおよそ20作。その多様さには講義しているこちらも驚いた。
 今回紹介するのもユニークな「マンガ家マンガ」だ。マンガ家と編集者の間に生まれる禁断の恋のようなそうでないような不思議な感情を描く、やまがたさとみの『うそつき*ラブレター』である。

 ***


うそつき*ラブレター【特装版】(1)
やまがたさとみ[著]

 主人公の市野あおいは売れない少女マンガ家。20代の初めに少女誌でデビューしたが、「作風が暗い」「絵が雑」と言われ続け、鳴かず飛ばずのまま29歳になっていた。現在は東京から離れた郊外で一人暮らし。アルバイトで生計を立てながらマンガを描いている。
 これまで描いていた少女誌を諦め、ボツ作品をウェブに上げた彼女のもとに思わぬ電話が入った。N(ネクスト)出版の女性誌『Comic CUTE』に作品を描かないか、というオファーだった。
 原稿を受け取りにやってきたのは、『Comic CUTE』の編集長・神代。40代独身の男性編集者である。イケメンではないものの実年齢よりも見た目は若く、長身で包容力があり、仕事熱心でメガネが素敵。
 これまで認められなかったことや、大人の女性をターゲットに描くことへの不安を漏らしたあおいに、神代は言う。
「僕あなたの作品好きです だから大丈夫です がんばって描いてください」
 その言葉はあおいにとって魔法の言葉だった。神代といっしょならいくらでも描ける。神代と一緒に仕事がしたい、という思いが湧いてきたのだ。マンガ家にとって、信頼できる編集者との出会いは、運命の恋人との出会いに似ている。女と男の場合、時として、マンガ家は編集者に恋をしていると信じ、ときには結婚に至ることもある。本当の恋なのか、錯覚による擬似恋愛なのかはマンガ家にも編集者にもわからない。

 あおいは『CUTE』の姉妹誌で30代女子向け恋愛誌『CoCo』で連載することになるが、担当はそのまま神代が続けることになった。仕事を通じて神代への思いを深めていくあおい。ここでは、マンガ家と編集者の打ち合わせや、やりとりが実にリアルに描かれている。そしてそれが、恋愛誌で作品を描くことは自分自身の過去の恋愛を恋人にさらけ出すことでもある、という事を裏付けていく。あおいの心は、神代の言葉ひとつ、しぐさひとつに揺れ動き、やがて……。

 作品の冒頭にはこんなモノローグがある。
「登場人物の『私』は 私であって私ではありません そして他の誰というのでもありません 安心してください 全てはつくりものです ただひとつの真実から 嘘でつむぎあげた恋ものがたりです」
 読者が読み解くのは、マンガ家・市野あおいの「ただひとつの真実」とはなんだったのか、ということになるのだろう。読者の恋愛経験と重ね合わせることで、幾通りにも読み解けるように描かれているのが、作者の巧さであり、この作品の魅力だ。

 ここまでは電子書籍版の1、2巻。3巻では、『CoCo』編集長の杣土(そまど)よう子が主人公のアウトストーリーとして、創刊当時のエピソードが語られている。メインに語られるのは、彼女の「恋」だが、もうひとつの読みどころは、出版界の現状や電子コミックについて語られている部分だ。
 大手出版社系列のオーバルで青年誌を担当する編集者・由木がこんなことを言う。
「紙をどうするかではなく デジタルにどう対応していくかを考えているんですよ」
 それに対して、よう子が「紙で読まない雑誌を お金出してまで 携帯で読むとは思えなくて」と言うと、由木は逆に質問する。「紙で読まれないとわかっていて どうして作るんですか?」
 そして、オーバルは無料配信の電子コミック誌を創刊。執筆陣にはよう子が担当してきた如月ハルカの名前が……。
 作品の舞台は2010年。発表場所がコミック・シーモアのウェブ雑誌「オヤジズム」だということもあるかもしれないが、見事に時代を先取りしていた。「恋愛ものは苦手で」というおじさんたちも、これはちゃんと読まないとだめ。本当に「マンガ家マンガにハズレなし」なのだから。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年1月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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