不動産取引、それは善意と悪意のミステリ 村上貴史/『物件探偵』乾くるみ

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物件探偵

『物件探偵』

著者
乾 くるみ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103507819
発売日
2017/02/22
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

不動産取引、それは善意と悪意のミステリ 村上貴史/『物件探偵』乾くるみ

[レビュアー] 村上貴史(書評家)

 不動尊子と書いて、ふどうたかこと読む。見た目は三十前後。身長一五〇センチ程度の小柄な女性で、ストレートロングの艶やかな黒髪が目を惹く。知的な雰囲気で整った顔立ちの持ち主で、宅地建物取引主任者証――いわゆる宅建――の持ち主でもある。その名前のせいで人からは不動さんと呼ばれ、不動産との縁を感じ、宅建の資格を十五で取得したという。その後不動産業に従事するようになり、いつしか不動産の、物件の気持ちがわかるようになってきた。

 というわけで、だ。その不動尊子こそが、物件探偵なのである。彼女は、乾くるみの連作短篇集『物件探偵』において、不動産物件を巡る様々な謎を解く。その鮮やかな推理が、本書には六篇収録されているのだ。

 第一話の「田町9分1DKの謎」は、中山繁行が田町のマンションの一室を取得する物語である。四十二歳で独身の彼は、父の遺産でその物件を買った。その部屋から家賃収入を得ようという計画であり、物件選択の決め手は利回りだった。だが、目論見通りにはいかなかった。繁行が買ってから三ヶ月ほど後に、家賃を大幅に下げねばならない状況に陥ったのである。困った繁行の前に現れたのが、不動尊子だった。不意に現れて「部屋が泣いている」と語る彼女は、物件の現物や資料を見て、さらに関係者を訪問して、繁行の買った物件に何が起きているのかを解明するのである。何故「部屋が泣いている」かの説明とともに。

 実によくできたミステリ短篇である。展開が極めて斬新なのだ。読者は、事件も謎も感じないまま主人公の不動産取引に関する興味で読み進み、そして不動尊子の登場後は一転して、繁行の取引に関してなにが起きていてどんな犯罪が進行していたのかを彼女の導きによって知ることになる。しかも前段の不動産取引が伏線として効いているのだから堪らない。さらに全体としてミステリの“とある典型”を活用していたり、物件の広告の図表も付いていたりして、ミステリ読みとしては相当に嬉しい一篇なのである。

 他の五篇も、ほぼ同様の構造のミステリであるが、第二話ではもう少し謎が明確に提示されている。売り出されたアパートが満室のはずなのに一室だけ空きがあると広告では表示されていたのだ。それに気付いた入居者の部屋で小さな怪異が連続するという謎を、不動尊子が全て解き明かす。第三話は、上階の部屋を買おうとした男に降りかかる災難の謎解きを描き、そしてブラックな余韻を残す一篇だ。第四話では、空き室が出たアパートで、不動産屋に勧められた値上げを躊躇する大家の心に物件探偵が寄り添う。第五話はまた謎が明示されていて、前の居住者が残していった大量の残置物に不思議な出来事が起こり、不動尊子が事件の背景を含めてその真相を見抜く(この第五話は誰がなんのためにトリックを弄して、結果的にそのトリックがどういう効果を生んだか、という点に注目するとさらに愉しい)。最終話は、かつて自殺があった物件を安く購入した男が奇妙な出来事に困惑していると、そこに尊子が現れ、さらに意外な役回りの人物までもが(密室と呼ぶべき状況下で)姿を現し、そして事件が決着する様を描くという、本書で最もトリッキィな一篇だ。

 一九九八年に『Jの神話』でメフィスト賞を受賞してデビューした乾くるみは、映画化もされた『イニシエーション・ラブ』のヒットで知られる。物語性と仕掛けの絶妙なブレンドが魅力であり、本書でもその持ち味は発揮されている。まず、各篇前半の不動産取引の部分は、いずれも主役の日常が不動産売買によって変化するドラマとして読ませる。しかも真相を知ると、主役のみならず、その周辺人物の心の動きもわかって物語は奥深さを増すのだ。買い手がいて売り手がおり、借家人がいて大家がいる。介在する不動産業者がいる。新規入居者がいれば、それを迎え入れる人がおり、あるいは退去する人がいる。そうした人間関係に宿った悪意や善意が、各篇の結末においてまさに物語と表裏一体のミステリとなり、不動尊子の謎解きを通じて読者に届けられるのだ。乾くるみ、まったく面白いところに目をつけたものである。

 最終話である第六話で不動の背景が少し明かされ、一冊の本として一応のピリオドは打たれている。それはそれで読後の満足を与えてくれて有難いのだが、しかしながら思うのだ。もっと不動の活躍を読みたいと。続篇を切望する。

新潮社 波
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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