『バスを待つ男』
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東京紀行も楽しめる 新機軸「路線バス・ミステリー」
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
街歩きの楽しみと謎解きの興趣を合体させたらどうなるか。
西村健『バスを待つ男』は、そんな思いつきから生まれたのではないだろうか。「路線バス・ミステリー」と命名したい変わった作品である。
語り手の〈私〉は七十歳、警視庁を退職して十年になるが、これといった趣味もなく、毎日暇を持て余している。反対に妻は多趣味だ。自宅を使って料理教室を始めたほか、読書に映画鑑賞と人生を謳歌している。そんな彼女に助言されて、〈私〉は東京都のシルバーパスを発行してもらうことにした。都内在住で七十歳以上であれば、年間二万円ちょっとでバスなどの交通機関が乗り放題になるのだ。
靴底をすり減らして東京中を歩き回る刑事だったということもあり、〈私〉は次第にバスに乗っての小旅行を楽しむようになっていく。足を延ばしてみれば行く先々で興味を惹かれる事にも出会う。いつも同じ停留所にいるが決してバスには乗らない男、稲荷神社の狐の像が変わった前掛けをしている一件など、妻の知恵を借りて小さな謎解きをしているうちに、いつの間にか立派なバス・マニアが出来上がっていた。
ミステリーであると同時に東京都を舞台とした紀行小説にもなっており、各地の風物が描き込まれているのが楽しい。実在の料理屋が出てくる「王子の狐」、品川遊廓を舞台とする「居残り佐平次」など、落語の話題が織り込まれている点もファンには嬉しいところだろう。物語の始めでは主人公の妻が謎を解くのだが、章を重ねるにつれて役割分担が少しずつ変わっていくという側面もあり、連作の構造が巧く利用されている。解かれる謎の質もだんだんと変化していくのだ。
バスに乗った〈私〉が人生にはこんな楽しみ方があるのか、と気づいたように、読んでいる間に、短篇ミステリーにはまだ新しい手があったのだ、と感心する場面が何度もあった。これは嬉しい驚きである。