『鷗外の思い出』
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【文庫双六】翻訳もうまかった星新一といえば…――川本三郎
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
星新一の母方の祖母は明治時代に翻訳家として活躍した小金井喜美子(一八七〇―一九五六)。
夫は東大医学部教授(解剖学、人類学)の小金井良精(よしきよ)。星新一は評伝『祖父・小金井良精の記』を書いているが、そのなかに「喜美子は兄の林太郎の影響を受け、幼少のころより書を読むことを好んだ。そのうち、文章を書いてみたくもなるのだった」とある。
「林太郎」とは森鴎外のこと。つまり星新一の祖母は鴎外の妹になる(八歳下)。ショートショートの名手が鴎外と縁があると知った時は驚いたものだった。
喜美子は兄を敬愛していて本書と『森鴎外の系族』という二冊の兄の思い出の記を書いている。
明治のはじめ、島根県の津和野出身の森家は東京に出て来て、隅田川の東の向島、さらに北千住に移り住んだ。幼ない喜美子は兄に連れられよく隅田川界隈に散歩に出た。一緒に浅草に遊びに行ったこともある。仲の良い兄と妹だった。
この本には、隅田川の東の地名や寺社名が懐しく書き込まれている。
千住大橋に近いヤッチャ場(野菜市場)、向島の小梅(こんめ)、弘福寺、牛(うし)の御前(ごぜん)(牛島神社)、曳舟(ひきふね)……。
永井荷風は終生、森鴎外を景仰した。大正十一年に明治の偉大なる父と言うべき鴎外が死去した時、荷風は日記『断腸亭日乗』に「悲しい哉」と記した。
平成四年から六年まで三年にわたって月刊誌『東京人』に『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を連載した。この時、荷風が歩いた東京の町を自分でも歩いてみるようにした。
そして荷風が好んだ町は『濹東綺譚』の舞台となった向島の玉の井をはじめとして、隅田川の東側に多いことに気づいた。
そこは期せずして喜美子が兄の思い出として語った町々と重なった。
幼ない喜美子はある日、兄に「おい、行かないか」、と散歩に誘われる。千住から綾瀬まで歩いた。二人の散歩のお伴をしたくなる。