時空を超え古代の時代を生きる女性の愛と勇気『王家の紋章』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第34回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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3000年前のエジプトを舞台にした愛の叙事詩
『王家の紋章』細川智栄子あんど芙~みん

 それほどの演劇マニアというわけではないけれど、新劇も歌舞伎もミュージカルもごちゃまぜで年に40本以上の舞台を観ている。その中で去年の個人的ナンバー・ワンに挙げたいのが、8月に帝国劇場で観たミュージカル『王家の紋章』だ。細川智栄子あんど芙~みんのマンガをもとに、音楽にはミュージカル『エリザベート』や『モーツァルト』をつくったオーストリアの作曲家シルヴェスター・リーヴァイを迎え、日本人キャストが演じた国産ミュージカルだ。
 原作は秋田書店の月刊少女誌『プリンセス』で1976年10月号から連載がスタート。古代エジプトを舞台に、40年を越えて描き継がれている大河歴史ロマンである。この大作をいかにして約3時間の舞台にしたかはあとで書くとして、まずはざっくりとストーリーを追ってみよう。

 アメリカの大富豪・リード家の末娘であるキャロル・リードはお転婆な16歳。幼い時から考古学に興味を持ち、エジプトのカイロ学園で学びながら、リード家が出資する王家の谷の発掘調査に次兄のロディや恋人のジミーとともに加わっていた。キャロルの恩師・ブラウン教授たちはそこで、ほぼ無傷の状態で隠されていた王墓を発見する。学園に運ばれた人型棺に眠るのは3000年前に18歳で亡くなった王のミイラ。傍らには干からびた一輪の花が添えられていた。
 しかし、王の棺は何者かによって盗み出され、そのさなかに王家への呪いを封印した粘土板が粉々に砕けてしまう。その結果、王家への呪いは解け、同じ墓の奥に眠っていた王の異母姉・アイシスが蘇ってしまった。愛する弟の眠りを妨げ、彼女の元から奪った者に復讐するため、アイシスはまずキャロルに接近し、彼女を古代エジプトに連れ去り、生贄として殺そうと企てる。そこで、キャロルが出会ったのは若き王・メンフィスだった。棺の王はメンフィスだったのだ。

 九死に一生を得て現代に戻ることができたキャロルだったが、執拗にキャロルを狙うアイシスは、現代に戻ってもなおコブラを使って殺害しようとし、その姿を見たリード社長を殺してしまう。父の遺志を継いだ長兄のライアンは、残された発掘品の展覧会を企画し、粉々になった呪術板の復元を試みる。呪術板が元に戻ればアイシスは3000年前に戻らなければならなくなる。あせった彼女は、直前にキャロルを過去に連れ去ってしまう。
 ここまでがプロローグ。ここで重要なのは、メンフィスが18歳で死ぬことが説明されていることだ。プロローグの段階で、結末は読者に提示されているのだ。しかも、勘のいい読者なら、花を手向けたのが過去の世界のキャロルだということはなんとなくわかる。到達点を読者と共有した上で、そこに至る物語を埋めるという仕組みになっているのだ。

 また、キャロルは水に溺れることによって何度も過去と現代を行き来する設定になっているが、それぞれの時代に生きた時間だけ、他方では行方不明という展開になる。キャロルはふたつの時代それぞれを現実のものとして生きているのだ。これも、読者にキャロルの時間を共有させるうまい描き方だ。
 再び古代エジプトに迷い込んだキャロルは、奴隷の母子セフォラとセチに救われ、運命に導かれメンフィスと再会する。エジプトには珍しい白い肌と金髪を持つキャロルに興味を持ったメンフィスはやがて彼女の賢さ、強さに惹かれるようになる。一方のキャロルは、はじめのうちは現代に戻りたい気持ちばかりが強かったが、しだいにメンフィスの気持ちを理解し、愛するようになっていく。国民からも伝説の「ナイルの娘」「黄金の姫」として慕われるようになった彼女は、メンフィスとともに古代に生きる決心をする。

 メンフィスを溺愛し、彼の后になる事を望むアイシス(古代エジプトでは近親婚は当たり前だった)は、キャロルが生きていたことに驚き、今度こそ亡き者にするためにさまざまな策を弄する。さらに、宮廷内にはキャロルを利用して権力を握ろうとする者たちも蠢いている。そして、肥沃なエジプトの地を狙う強国・ヒッタイトの王子・イズミルや、好色な王・アルゴンに率いられるアッシリア、切れ者の王・ラガシュが支配するバビロニア、王太后が統治する海洋王国ミノアなど周辺の国々との関係も緊迫している。
 そんな困難を受け入れ、永遠の愛を信じ、国民の安らかな暮らしのために力強く生きるキャロルは、男から見てもかっこいい。考古学を学ぶ学生として、エジプトをはじめとする古代の国々の行く末を知りながら、時代とともに生きようとする勇気も素晴らしい。

 単行本は現在62巻まで刊行されている。全部読むのは大変そうに見えるが、読み出してしまえば時間を忘れて没頭してしまう。中身はものすごく濃いのに、私は3日で読み終わった。
 なお、舞台版では膨大な数の登場人物をキャロル、メンフィス、イズミル、ライアン、アイシス、宰相イムホテップ、女官長ナフテラ、イズミルの妹・ミタムンら少数に絞り、4巻までのエピソードでまとめている。しかも、ラストでは続編を読みたくさせる工夫も。去年はチケットが即日完売。今春は以下のスケジュールで拡大再演される。

※2017年4月8日~5月7日、東京・日比谷「帝国劇場」。5月13日~31日、大阪「梅田芸術劇場メインホール」。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年3月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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