保守化する心、その深層にひそむ虫とは?

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■なぜ異なる文化・価値観をもつ者を傷つけてしまうのか

こんな心理学の実験がある。

ある女性が売春の罪で起訴され、留置所から保釈されるのを待っている(という架空の裁判事例の実験だ)。
この実験に参加した実在の判事たちは、2つのグループに分かれていた。一方のグループは、売春婦に標準的な保釈金を課したが、もう一方のグループはその9 倍以上にもなる高額な保釈金を求めた。

判事とは公正で理性的な判断を旨とする仕事だ。それなのに、何がこれほど大きな差をもたらしたのだろう?
実は高額な保釈金を課した判事たちは、こうした判断をくだす前に、あるアンケートに答えていた。そのアンケートの中には、「死」にかかわる質問が入っていた。一方、標準的な保釈金を課した判事たちには、このような質問はされなかった。

死を思い起こさせられることが、判事たちの価値観(法律を守ること)を、さらに強くかき立てたのだ( なお、この実験の一部については、WIRED 日本語版『疲労や「死の意識」で脳が「保守化」:研究結果』 http://wired.jp/2011/04/21/ にも紹介されている)。

ほかのさまざまな実験でも、人は死を思うと、自分たちの価値観や文化を強く守ろうとすることが明らかになっている。それは時に、自身をわざわざ危険にさらすようなリスキーな行為にも走らせる。
たとえば、タバコを吸うのがカッコイイと思っている者は、より多く吸うようになり、クルマの運転を自慢している者は、より危ないドライブに魅力を感じるようになる。そうすることで、自分の意義を高め、存在を脅かす恐れを払おうとするのだ。

このような死の恐れは、意識される必要はない。むしろ、無意識のうちにあるほうが、より危ない行為に人を仕向けたりする。

死の恐怖が人間に与える影響に注目した社会心理学は「恐怖管理理論(TMT:Terror Management Theory)」と呼ばれ、世界的に保守化の傾向が高まっている今日、脚光を浴びている。この理論の提唱者たちによる入門書『なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか』(インターシフト)も先頃、邦訳刊行された。

本書には、死の恐れが、自分たちとは異なる価値観・文化に属する他者を排斥するようになる心理学の研究もいろいろ紹介されている。

「自分の死すべき運命について考えたあと、キリスト教徒はユダヤ人を侮辱し、保守派は進歩派を非難し、イタリア人はドイツ人を軽蔑し、……どこの人も移民をあざ笑うことが、研究で実証されている」

それだけではない。こわいのは、特に知り合いでなくても、信念(たとえば宗教)の異なる者が事故などで死ぬと、自分の不安が和らぐことだ。

みずからの価値観を守り、文化・制度を守ろうとする「保守化」は、誰の心にも巣くっていて、社会にさまざまな影響を及ぼす。

病院では、医者が自分の死を思い起こさせられると、患者が延命を拒否しているにもかかわらず、できる限り長く生かそうと判断してしまう。

政治においても、ジョージ・W・ブッシュ政権が、9・11 のテロを「邪悪なる者」との戦いとして、恐怖をかき立てることによって人々の支持を得たことは知られている。そして、もちろん、かのトランプ大統領だ(トランプ人気の背景については、本書の著者のひとりが『SCIENTIFIC AMERICAN 』誌( https://blogs.scientificamerican.com/cross-check/do-voters-adore-trump-because-they-dread-death/ )でインタビューに応えている)。

■心の芯に巣くう虫

それほど大きな影響力を死の恐れがもたらすのはなぜなのか?

その答えは、死の恐れこそ、私たちの「心の芯に巣くう虫」であるからだ。私たちの心は、2つのシールド(盾)によって、こうした死の恐怖を防いでいる。

ひとつは「文化的世界観」であり、もうひとつは「自尊心(自尊感情)」だ。もともと幼児には母親のような<安心感の源>が欠かせないが、それは成長するにつれて周囲の文化的世界(モノゴトの成り立ち)への帰属感へと移っていく。

一方で、人間は生きていくうえで、自分は有意義な世界の価値ある参加者だという感覚(自尊心)も求める。そして自尊心が高い者ほど、心の奥深くにひそむ恐れを食い止めることができるのだ。
たとえば、自分を褒められ、自尊心が高まった被験者は、生理的にも不安を和らげていることがわかっている。電気ショックを手首に与えるという実験(じっさいには電気ショックは起こらない)で、自尊心を高められた被験者は、高められなかった者より、汗をかく割合がかなり少なかった。自尊心は、メンタルはもちろん、カラダにも効くのである。

だが、どうして私たち人間には、文化的世界が必須栄養素のように不可欠なのか? そのことを、本書は文化の起源にさかのぼり探っていく。

死を認識する生き物は人間だけであり、それは初期人類の自意識の副産物として生まれた。
しかし、こうした死の認識による恐れに押し潰されてしまっては、かよわい動物である人間は生存できない。

そこで発明したのが、「超自然世界」だ。持ち前の想像力によって、こうした超自然世界を作り出し、死の恐怖を管理しえた集団がおのずと生き残ってきた。つまり、儀式・芸術・神話・宗教といった世界であり、こうした虚構に包みくるまれて、私たち人類は進展してきたのだ。

「人間には儀式、芸術、神話、宗教がありながら、農業、テクノロジー、科学があるのではない。それらがあったからこそ、農業、テクノロジー、科学を発展させたのだ」

■異性の肉体への興味が薄れる

パプアニューギニアのある部族は、大人になるための儀式で、年上の少年や年長者にフェラチオをするという。ほかの文化的世界から見れば、異常にしか見えないことも、同じ信念・価値観を共有していればそれがフツーなのだ。
そして、それぞれの共同体は内なる結束を強めるために、独自の言葉や文化・習俗を生み出し、守ろうとする。

だが、それらはじっさいは「心安らぐ錯覚」であり、「必要なうそ」に過ぎない。私たち人間の生活は、こうした傷つきやすい皮膜の上に営まれているのだ。そして、死の恐れ(存在への脅威)が、その皮膜をつねに破ろうとする。私たちの日常のほぼあらゆる行動に、この見えない恐怖が影を落としている。

きわめて興味深いことに、死の恐れを無意識にせよ感じると、人はまたこんな行動も取りがちになる。

・高い買い物をしたくなる
・異性の肉体への興味が薄れる
・有名になろうとする
・超自然現象に関心を抱くようになる
・カリスマ的指導者に魅力を感じる……

さらに、本書ではさまざまな精神障害も、恐怖管理がうまくいかない症状として見直される。
昨今の保守化の潮流も、おそらく人間の本質にかかわる根深いものにちがいない。では、どうすれば、死とともにあり、より開かれた世界を築いていけるのか?

ヒントになるのは、自尊感情をはぐくむことであり、また善悪などを区分けする対立的な価値観にこだわるのではなく、そもそもあらゆる価値観は虚構であり相対的なものであることに自覚的であることだろう。
本書では、それを「にっち」と「さっち」の違いと呼んでいる。この発想は日常的なコミュニケーションにも活かせるにちがいない。

インターシフト
2017年3月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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