縄文時代にはすでにクッキーが食べられていた? 古代日本のフシギに迫る――変わる古代の日本の姿。今と昔をつなぐ3つのキーワード

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日本列島の森では、秋にクリやドングリ、クルミなどが大量に実る。

クリは生でも食べることができるが、ドングリはアクが強く、そのままでは食べることができない。水にさらしたり、加熱し、アクを抜かなければならない。

深鉢の土器の出現によって、この問題が解決された。土器を水にさらす容器としたり、鍋として水を加熱して、アク抜きをすることができる。保存用の容器としても使える。

(中略)

「縄文クッキー」は、アク抜き技術の確立で、石皿や磨石を用いて堅果類の粉食が可能になった結果であると考えられている。炉のなかから発見されるものは焼いたもの。土器にこびりついたものは、粥状に煮て食したらしい。

土器の出現で、こうした堅果類の加工と粉状にした保存、さらに料理法も確立したのだ。

(『古代の日本がわかる事典』P.36より)

日本の戦争は弥生時代にはじまった?

多数の人間同士で戦う行為を「戦争」とするのなら、日本において戦争が初めて起きたのは弥生時代かもしれません。というのも、弥生時代の遺跡から「殺傷痕」のある大量の人骨が出土しているからです。

これは縄文時代にはなかった特徴で、これらの発見から「大規模な騒乱が起こり、戦場近くに設けた溝に遺体を無造作に埋葬する必要があった」ことが推測できます。他にも、吉野ヶ里遺跡やスダレ遺跡などの弥生時代の遺跡から「弥生時代に戦争が始まった」という通説を裏付ける出土品がありました。

また、3世紀頃に成立したといわれる中国の歴史書『魏志倭人伝』では、弥生時代末期の2世紀ごろに長期間にわたる騒乱「倭国大乱」が起きたと記されており、それを収めたのが邪馬台国の卑弥呼だとされています。

そう考えれば、卑弥呼という人物は英雄ですよね。長く続いた戦争を終わらせたのですから。

漢字以前に文字はあったのだろうか?

現代の私たちは漢字とひらがな、カタカナを使って文章を書いています。とくに、ひらがなとカタカナは中国から伝わってきた漢字を元に成立したといわれているので、「日本オリジナルの文字は存在しなかった」ということが定説になっています。

しかし、縄文土器や弥生土器をよく見てみると、かなり洗練された記号のような文様が描かれているものがあり、文字が自ずと生み出されてもおかしくない条件は揃っているように見えると前述の北川隆三郎さんは述べます。

漢字の伝来以前、日本に文字は存在していたのでしょうか? それとも、していなかったのでしょうか?

実はそれに関する研究や言説はいくつか存在しています。江戸時代の国学者である平田篤胤は神話時代の日本で使われていた神代文字を研究していましたし、記紀の原書といわれる『ホツマツタヱ』を構成する神代文字「ヲシテ」は、漢字以前の文字の例として知られています。

ただし、神代文字に対しては批判も多く、「文字が存在したという論拠はない」という意見が主流のようです。

古代文字は果たして存在したのか? それは今後の考古学の研究が進むことによって次第に明らかになるはずです。これは大きなロマンを感じますよね。

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今、私たちが当たり前に使っている文字や食べているもの、起きていることなどの源流があるのが古代という時代です。

当時の彼らの生活や風習、文化を知ること。それが今の私たちの社会の謎や秘密を解き明かすカギになるかもしれません。

日本実業出版社
2017年3月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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