「やりがい」を生み出すのは、人生においての冒険だ!『ハルカの陶』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第37回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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普通の人生を変えた備前との出会い
25歳OL、陶芸作家を目指す
『ハルカの陶』原作:ディスク・ふらい 作画:西崎泰正

 平凡な生き方をやめて、人生の冒険をしたくなる瞬間が誰にでもある。私の場合は、32年前。7年間勤めていた会社を辞めてフリーの物書きになったときが、おそらくその瞬間だったのだろう。フリーでやっていけるという自信も保証もなく、なによりもそれまでの仕事とは関係のない方向に舵を切ってしまったのだから、冒険というよりも無謀だったかもしれない。当時はずいぶんそういう指摘を受けた。
 あのまま勤め上げていたら、再雇用の定年まであと3年。たいして出世はしていないだろうけど、退職後も年金でとりあえず安定して暮らせたはずだが、別に悔いはない。このまま死ぬまで冒険を続けるのも悪くないと考えている。
 これまでの暮らしにすこし退屈しながらも、冒険したものかどうか迷っているあなたにオススメのマンガを紹介しよう。ディスク・ふらい/原作、西崎泰正/作画の職人マンガ『ハルカの陶(すえ)』である。

 ***

 主人公の小山はるかは25歳のOL。入社3年目の営業職。普通に働いて、いつかは結婚して子どもを産んで、普通に生活していくと考えていた彼女に人生の転機が訪れたのは、上司と一緒に偶然入った備前焼の陶芸展だった。そこに飾られていた1枚の大皿が彼女に冒険を決意させた。
 上司に辞表を出して彼女が向かったのは、岡山県備前市伊部。備前焼のふるさとである。彼女は大皿の作者・若竹修を探し出して弟子入りをするつもりだった。ようやく訪ね当てた若竹は、はるかが想像していたよりもずっと若い男性。しかも、つっけんどんで「弟子は取らない」とはるかを追い返す。アポなしでいきなり弟子入り志願されたら、追い返すのが当たり前だろう。
 しかし、一度追い返されたくらいではあきらめないはるか。逆に、若竹が一心にろくろを回す姿に感動して、是が非でも入門するのだ、と決意を固めてしまう。
 偶然出会った備前焼の人間国宝・榊陶人の口添えもあって、なんとか若竹の弟子(見習い)になることができたが、若竹はなかなか彼女の存在を受け入れようとしない。10歳の時にともに備前焼の陶芸家だった両親を交通事故で失った若竹はそれ以来、誰にも心を開こうとせず、学校でも友達を作らずほとんどの時間をロクロと向き合って暮らしてきたのだ。
 そんな閉ざされた心も、天真爛漫で何事にも真剣に取り組むはるかがしだいに変えていく。さらに、陶人の幼馴染で、備前焼の土を守るためにひとりで田畑を耕し続けるミヨばあちゃんや若い備前作家たち、備前出身の陶芸家の松崎夫妻などが、はるかの陶芸家としての成長を支えていく。松崎夫妻の奥さんのほう、陽子は備前焼作家養成所での若竹の同期。備前には数少ない女性の陶芸家ということで人一倍苦労してきた。そのため、はるかにはちょっときびしい。いじわるではなく、姉の厳しさといったところだ。よそ者のはるかをやさしく迎え入れながらも、伝統を大切に守っている登場人物たちは、おっとりして融通無碍なところがありながら、実は芯が強くて頑固という岡山県人気質そのものだ。

 ただ、これだけでは、青年誌の職業マンガにありがちな展開と思われるかもしれない。しかし、本作のもうひとつの面白みは、はるかの成長をたどりながら、備前焼の歴史やできるまでの工程がわかるという部分にある。
 全3巻が工程通り、土練編、成形編、焼成編と構成されているのだ。このテーマなら、さまざまな事件を絡めて、登場人物を増やしさえすればもっと長く続く連載にすることもできるはずだが、あえて3巻にまとめた、というところがすばらしい。
 ディスク・ふらいのあとがきによれば、もともとは前後2話の読み切りのつもりで軽く考えていたが、「最低でも4話」という編集部の意向に応えるために西崎と備前市を取材。たくさんの窯元や陶芸家の話を聞くうちに全27話にまとまったのだという。たしかに、しっかり取材して構想を組み立てた作品だということはよくわかる。登場人物にも取材した陶芸家や備前の人々の姿が反映されているのだろう。だからリアルだ。

 第3巻に出てくる、温度計の故障で窯の温度を上げすぎて、窯焚きが失敗に終わるエピソードなども、現地を取材しなければ描けなかっただろう。これがあることで、窯出しを待つはるかの期待と不安の入り混じった気持ちや、「どんなに思い入れがあろうと意図した焼けでなければ 作品としては残せないんだ」という若竹の言葉の重みが読者に伝わる。

 恋愛要素やライバルの対決、どろどろの人間関係を期待する人には物足りないマンガかも知れないが、元気づけられるマンガを探している人や、はじめに書いたような「人生の冒険をしたいけど心配」と躊躇している人にはぜひおすすめしたい作品。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年4月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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