作家・宮内悠介「一箱古本市に参加してみた」 神楽坂ブック倶楽部イベントレポート

イベントレポート

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神楽坂ブック倶楽部

さて、いざ参戦

 そんな詮方ない心配を抱えつつ、当日は幸いの快晴。

 別の場所で出店する家人の車に乗せてもらい、現地へ向かうことに。すでに四十回近く出店している家人は慣れたもの。ちなみに「別の場所」とはどういうことかというと、今回の「神楽坂ブック倶楽部一箱古本市」は、ダイナミックに神楽坂を横切り、飯田橋にかけて広く街全体を使う催しなのだった。村上春樹の「七年ぶりの本格長編」を出した一週間か二週間後に、こんな古書のイベントを催す新潮社もなかなかにパンクだと思う。

 集合は十時。それから、自分の持ち場となるワイン箱の前へ。

 スーツケースを開け、恐るおそる一箱を作ってみる。とりあえず、半分は日系人収容所や精神医学の専門書。我ながら暗い雰囲気だなと他人事のように思いながら、残りの半分に、軽めの読みものや、おすすめの小説を収めていく。

 あらかじめポストカードに印刷しておいた屋号を取り出す。

 それから、テープがないことに気づき――ぼくは隣の人にテープを貸してくださいといえるコミュニケーションスキルを持たない――えいやとばかりに、ワイン箱の木の継ぎ目に挟む。カードが「壁と卵」でいう卵の側となり、端っこが折れる。まあ、ないよりはいい。何事も。

 そんなこんなで、昼前には開店。

 まず気がついたのは、お客さんは頭から順、つまり一箱である場合は、お客さんから見て左から順に本を確認していくということ。そりゃちょっと考えれば当然のことなのだけど、実際やってみるまで気づかなかったのだから仕方がない。で、その視線を遮るように、頭から『アメリカ在住日系人強制収容の悲劇』などがあるものだから、多くの場合そこで目の動きが止まり、足が隣の店舗へ向かってしまう。

 ただ、面白いことに、必ずしも難しい本は厭われない。

 真っ先に売れたのは、実際、レンガのような専門書だった。売りのつもりで持ってきた人工知能の本などは、案外にスルーされてしまう。難しさよりも、興味の対象かどうかが優先される。これは古本市というイベントの性格か、それとも世間一般にそうであるのか。

 とはいえ、なんとなくダークな、気が重くなるタイプの題は、テーマにかかわらず避けられる傾向にある。なるほどこれはしょうがない。必ずしも好景気でもないし。そこに来て、ぼくの箱の左半分はそういう重たい本ばかりであったりする。

 そこで急遽、左右をスワップ――すなわち、お客さんから向かって左のヘビーな本を右へ、向かって右の軽めの本を左へ移行する。ついでに、暗いやつはこそっと陰のところ、けれども知的好奇心があれば見える場所へ。あれをこっちへ、これをあっちへとやるうちに気がつく。

 これって、たぶん書店さんが毎日やっていることだ。

 そしてまた、存外に難しい。おのずと、これまでの自作の題名が思い出される。『エクソダス症候群』『アメリカ最後の実験』――うん。置きにくい。というわけで、各地の書店さんにごめんなさいと念を送る。

 いや、白状しよう。

 ぼくはこれまで、ふんわり明るめの題の、ふんわり明るめの内容の本に内心で抵抗し、ゲリラ戦のような心持ちでいた。しかしいざ「棚を作る」という観点に立ってみると、身に染みて、ふんわり明るめの素晴らしさがわかってくる。偉大なりし、ふんわり明るめ!

 という次第で、比較的人を遠ざけなさそうな『ニンテンドー・イン・アメリカ』『負け組ハード列伝』あたりを目立つ位置へシフト。動かしながら、いまさらあとに引けない自分の作風やタイトルづけの傾向に思いを馳せる。

 適宜、箱の中身を入れ替えながら様子を観察していると、面白いもので、だんだんと売れるようになってきた。

 お客さんのなかには、知人友人の姿も。

 前にイベントでお会いし、ハードSFの話をしたかたが、関西へ帰郷する前にと立ち寄ってくれた。ほかにも、話し下手なぼくのイベントに必ず顔を見せてくれるかたや、そのほか大学時代の友人等々。なんとなく、フェイスブックで昔の知人と再びつながったみたいになってきた。いいね。そこに颯爽と現れた荻原魚雷さんが、おそらくその日に出品した唯一の希少本を、まるでそこだけ色が違って見えているかのように即座に手に取り、買っていかれたのがその日のハイライトか。

 不思議なもので、本当は手元に残していたかった本も、喜ぶお客さんの顔が見えると、こちらまで嬉しくなってくる。そして人間界のことなので、こちらが楽しそうだと、やっぱり売れる。みんながいつもこうだといいな。

 立ち去ろうとするお客さんにも、あれやこれやと内容紹介をすると、案外に買ってもらえるものだと気づく。これは古本市というイベントの空気によるものだろうけれど、効果としては、新刊書店のポップに似ているだろうか。しかし月の刊行点数が山とあるなか、書店員さんがポップを作るのも大変なので、いっそ棚にスマートフォンをかざすと版元謹製のポップが浮き上がって見えるARアプリでも作れないものか。

 などと夢が広がるのはいいとして、それにしても、なぜ自分ではなく人の本だといくらでも宣伝できるのだろう。これって由々しき事態なのでは。

 また別の発見もあった。

 イベントという一種のお祭りであるからか、意外と、お客さんが値段を見ないのだ。正確には、ある程度まで頭のなかで価格を見積もってから、しかるのち、手に取る。だもんだから、「百円です」「え」「いえ、私が線を引いてしまったので……」といったやりとりも。

 そういえば準備の段階で、自分のつけた折り目や線を逆に附加価値にできないかと【邪/よこしま】な考えもよぎったのだけど、そこまで厚顔無恥にはなれなかった。

 残念であったのは、会場が街全体であることもあり、ほかのお店まで回れなかったこと。

 というのも、幸いお客さんは途切れずに来てくれて、とはいえこちらがコミュ障なもんだから、話に必死になっているうち、おのずと気がつけば陽も傾き、たちまちお開きという時間に。

新潮社 波
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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