大ヒットの裏で、一度崩壊した家族を描く 『ド根性ガエルの娘』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第39回
中野晴行の「まんがのソムリエ」
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- ど根性ガエルの娘 1
- 価格:660円(税込)
消えたマンガ家の苦しみを娘が描く
『ど根性ガエルの娘』大月悠祐子
このところ、ちょっとうれしい知らせが続いている。新年度を迎えて、「息子が自分の仕事を手伝うことになりました」とか「娘がわが社の新入社員になりました」というメールや手紙が届くようになったのだ。
うちの周りだもの「わが社」とは言っても、社長兼スタッフの本人のほかに数名という小さな事務所や工房ばかり。早い話が「子どもがあとを継いでくれそうです」という話なのだ。とは言え、われわれのような零細自営業者にとっては大きな喜びだ。子どもたちが親のがんばりを見て育って、同じ仕事にチャレンジしようというのだから……。残念なことに私には子どもがいないのだけど、「おめでとう! やったね」と我が事のように喜んでいるのだ。
こんなほのぼのした前振りのあとで、いいのかなあ……などと思いながら紹介するのは、大月悠祐子の『ど根性ガエルの娘』である。
***
タイトルにある『ど根性ガエル』は1970年~76年に『週刊少年ジャンプ』で連載されて一世を風靡したギャグマンガだ。主人公のカエルのピョン吉はある日、小石につまづいて倒れた中学生・貝塚ひろしに押しつぶされて、シャツの表面に平面ガエルとして貼り付いて生きることになる。
勉強は苦手で慌て者だが喧嘩と正義感は人一倍強いひろしとガッツあふれるピョン吉のコンビが、ひろしのガールフレンドの京子ちゃんや子分の五郎、ガキ大将のゴリライモたちとともに巻き起こす珍妙な騒動を描いた学園ギャグ。テレビアニメ化もされてこちらも大ヒットした。
大月はそのマンガの作者・吉沢やすみの実の娘だ。親の職業を継いだわけだが、こちらはほのぼのと言っていいのかどうか?
マンガは、『ど根性ガエル』の連載終了後に極度のスランプに落ち入り、13本の原稿を放り出したまま失踪した父・吉沢やすみとまだ幼かった大月たち家族の「実録家庭崩壊とそれからドラマ」になっているのだ。
失踪直後、まだ38歳の妻・文子は必死になって夫の行方を捜すが、そのとき吉沢はホームレスとなって路上で寝泊まりしながら、ギャンブル三昧の日々を送っていたのだ。ボロボロになってようやく家に戻ったとき、マンガ家としての吉沢やすみは死んでいた。仕事はなくなり収入はゼロ。その現実から逃れるようにギャンブルにのめり込み、負けた。文子は愛する夫と家族を支えようとするが、『ど根性ガエル』で稼いだお金も底をつき、家にある金目の物を持ち出してはギャンブルを続ける吉沢……。サラ金には手を出すし、キレると暴れる。十代の大月はそんな父もそれを受け入れる母も理解できず、ただ父を恨んだ……。
と、ここまで書いてくると、恐ろしく悲惨なマンガのように思われるかもしれない。が、どうしようもない父親だけど、どこか憎めないのだ。それは、45歳になった大月と父の立ち位置がしっかりと描かれているからだろう。大月の家にふらりとやってきて、得意のカレーをつくった父に大月が「お父さんのこと漫画にするから」というと、父は満足したような表情で「うむ…そうか うむ!! 聞きたいことあったらなんでも聞くんだぞ!!! お父さんなんでも答えるからな!!!」と言うのだ。
子と親、描き手と描かれる者の位置関係がはっきりしたことで、読者は客観的に親子の物語を読むことができるようになる。だから、どんなに悲惨な描写でも、一定の距離を置くことができる。距離をおけば、そこにあるのが憎しみだけではなく、抜き差しならない家族の「愛」であることも容易に理解できる。「愛」はきれいなばかりではない。どろどろしている。そして強い。このマンガの一番の魅力はそこにあるのだ。
父は、かつては自分を恨んだであろう娘が同じマンガ家になり、自分のことを描こうとしているのがうれしいにちがいない。それは、冒頭に書いた、子どもがあと継ぎになってくれるのを喜んでいる親たちと同じことなのだ。単に継ぐのではなく、描きたいものを描かなくてはいられないという、マンガ家の「業」をいつの間にか娘が背負っているのが、同業の先輩としてうれしいのである。
吉沢のデビュー当時のエピソード、今、吉沢と妻の出会い、十代の大月と父との葛藤、弟のこと、近い過去、吉沢の失踪時代を入れ子細工のように編み上げていく手法もうまい。へたをすると読みにくいマンガになるかもしれないギリギリのところを巧みに踏みとどまって見せていく一級のテクニックだ。
わたしは大学時代に、吉沢の師匠・貝塚ひろしに原稿を見てもらったことがある。貝塚は「あんたはマンガ家になるのは無理だな。絵がどうこういう前に人間がマトモすぎる。うちにいた吉沢やすみなんて、マンガ家にしかなれない人間なんだよ。あんたは、普通にサラリーマンになれる。だから無理なんだ」と言った
そのときは意味がわからなかったが、このマンガを読んでやっとわかったような気がする。私に足りなかったのは、何かをとことん愛して、心底のめり込み、もがき苦しむ「本気」だったことが……。
中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。
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