「古代史」と「国際政治」の二重ミステリー

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キトラ・ボックス

『キトラ・ボックス』

著者
池澤 夏樹 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041037256
発売日
2017/03/25
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「古代史」と「国際政治」の二重ミステリー

[レビュアー] 外岡秀俊(小説家、ジャーナリスト)

 異国を旅していて、現地語で話しかけられたことが、しばしばある。多くは、こちらを「地元に明るい人」と勘違いして、道を尋ねてくる程度だ。そうでない場合もあった。

 三十年余も前、中国西部のタクラマカン砂漠の周囲を、一か月ほど旅した。広大な砂漠を、首飾りのようにオアシスが縁取る。新疆ウイグルと呼ばれる地方だ。驚いたのは、どの町でも多くの人に声を掛けられたことだ。それも満面に笑みを湛え、「おう、お前、どこに行く?」と気軽に話しかける。どうやら私を、「同胞」と信じて疑わない様子だった。

 その時私は、シルクロードを通じて、遠い「西域」と東端の日本が、想像以上に深い縁で結ばれていると思わずにはいられなかった。

 本書は、まさにその「西域」と日本のつながりを、壮大な規模と奥行きで描く作品だ。

 ある日考古学者の藤波三次郎准教授は、奈良県の山奥の神社から、ご神体を調べてほしいと依頼される。八世紀初頭に作られたその禽獣葡萄鏡を調べるうちに藤波は、西域のトルファン出土にそっくりの鏡があることを知り、論文の執筆者で国立民族学博物館に勤めるウイグル出身者・可敦に協力を仰ぐ。確かに二つは同じ鋳型で作られたものだ。さらに奈良の鏡と共にご神体となった銅剣の刀身には、キトラ古墳と同じ北斗の天文図が象嵌されていた。なぜ同じ鏡が、西域と奈良に伝播したのか。その謎を解けば、キトラ古墳の被葬者も明らかになるのではないか。

 その後藤波は、二つの銅鏡と瀬戸内海の大三島にある国宝の葡萄鏡が酷似していることに気づき、可敦と一緒に神社に向かう。しかしその帰りに二人は謎の男たちに襲われ、あわや可敦は拉致されそうになる……。

 そう、これは古代史の謎解きと、現代国際政治のミステリーを重ね合わせた二重奏なのである。物語は、ウイグルとチベットの血が流れる可敦を通して、自治を求める民族独立運動の今を浮き彫りにする。どうやら中国政府の意を汲む男たちは、二民族の血を引く可敦の兄が、二つの独立運動を結合させようとするのを恐れ、妹を誘拐して脅すつもりらしい。行く先々で追っ手の影をかわしながら、藤波と可敦は古代史の手がかりを探し求め、キトラ古墳の正体に迫っていく。

 いわばこの物語は、石室の天井に描かれた天文図を眺める古墳の被葬者が、その遥か彼方にある星空に思いを馳せるのに似ている。目の前の光景と、遠い古代の世界が、想像力によって見事に結ばれるドラマなのである。

 表題からわかるように、この作品は戦後の日本の核開発をテーマにした『アトミック・ボックス』の続編である。いや、多くの登場人物が重なるとはいえ、前作では宮本美汐、本作では可敦という若い女性が孤軍奮闘し、周囲がそれを支える物語なのだから、「姉妹編」と呼ぶのがふさわしい。前作では脇役だった美汐の同僚の藤波が前面に躍り出て、美汐は本作では後景に引くが、実は鋭利な観察眼によって物語を大団円に導く。前作では執拗な追跡で美汐を悩ませた仇敵の行田安治は、今や味方になって、いそいそと助っ人を買って出る。持ち味はそのままながら、登場人物が適材適所で役割を変えて活躍するのも、姉妹編ならではの面白みだろう。

 たぶん前作を書くにあたって、池澤氏の脳裏には、美汐の故郷である凪島のさまざまな小路や街角の風景、登場人物の仕草や表情、その心の動き方にいたるまで、あらゆる細部が緻密に造形され、刻まれているのだろう。舞台や役者の造形がしっかりしている分だけ、発想はのびやかになり、人物たちは水を得た魚のようにぴちぴちと動き出す。

『キトラ・ボックス』と、文庫化された『アトミック・ボックス』は、池澤作品に燦然と耀く「双子座」と言っていい。読者としては、同じ人物たちが活躍する新たな物語が加わり、別の星座に変わることを期待したい。

KADOKAWA 本の旅人
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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