プロもオススメ!本格コーヒーマンガ『バリスタ』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第42回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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コーヒーで魅せる専門職の世界
『バリスタ』むろなが供未 原作:花形怜

 仕事場の近所にお気に入りの喫茶店がある。落ち着いた内装で、BGMがなくて、なによりもサイフォンで淹れてくれるコーヒーが美味しい。先日、店がすいている時間に寛いでいると、マスターから声をかけられた。
「中野さんはマンガ関係だから知ってるかな。これ、よく調べてるし、おもしろいんですよ。マンガ家ってすごいですね」と感心しながら見せてくれたのは、むろなが供未・画/花形怜・原作の『バリスタ』。今回はこの作品をご紹介しようと思う。

 ***

 主人公・蒼井香樹(コーキ)はローマの下町にあるフランコのバールで働くバリスタ。イタリアでバールとはコーヒーと食事を提供する店のこと。夜はアルコールも提供する。バリスタはバールで“カッフェ”、つまりコーヒーを淹れる専門職。蒼井の亡くなった母親もかつてイタリアでバリスタをしていたことがあり、その影響でイタリアを南北に横断しながら8年間、腕を磨いてきたのだ。バリスタはおいしい“カッフェ”を入れるだけじゃない。コーヒーに関する豊富な知識を持ち、なによりも笑顔でお客を満足させることが肝心。蒼井の知識とコーヒーへの愛情、お客へのサービス精神は、ときには乱暴なマフィアの男さえも黙らせるほど。フランコの店は蒼井目当てのお客でいつも賑わっていた。
 そんなある日、イタリアのコーヒー豆焙煎所では1、2のシェアを持ち、世界中でイタリアンバールのチェーンを展開する「エリジオ・ソーラ社」が、日本に出店する1号店のバリスタとして蒼井にヘッドハンティングをかけてきた。「なぜ俺に」と戸惑う蒼井に人事部長のコンティは「本物の味の伝道師として祖国に凱旋するチャンスじゃないか!!」と背中を押した。悩んだ末に、「日本の人たちにもっとカッフェの魅力を知ってもらうんだ!」と決心した蒼井は帰国する決心をした。

 ここまではありがちな展開だが、日本1号店に出社した蒼井は店長の高遠輝美から「本社から通達があったわ 見習い(アップレンディスタ)が一人来るってね」と告げられる。蒼井が任されるはずだったプリーモ(トップクラスのバリスタへの称号)には前田貴宏が、もうひとりのバリスタには塩谷昌志がいた。
 一瞬ショックを受けた蒼井だったが、フランコの教えである「バールはお客のためにある それさえ忘れなければ良いバリスタになれるさ」という言葉を思い出し、お客のために笑顔で掃除の仕事に精を出すが……。
 天才的な腕を持つ主人公が、いきなりヘッドハンティングを受け、なぜ見習いから、というところに謎があるのがおもしろい。
 読みどころは、これは謎の部分にも深く関わってくるのだけど、蒼井をはじめとするコーヒーとイタリアンバールを愛する個性的な面々がぶつかり合いながらも、やがてはチームワークで不振の「エリジオ・ソーラ ジャパン」を立て直していくドラマだ。

 店長の高遠は、イタリア本社と提携する高遠ホールディングスの社長令嬢でブランド戦略部長でもある。父とエリジオが友人という個人的な理由で抜擢され、大きなプレッシャーを抱えている。コストや組織管理にはうるさいが、彼女自身もバリスタの資格を持つ。前田はプライドは高いが腕も確か。早い時期から蒼井の才能を見抜きライバル視するようになる。塩谷は元銀行員。銀行を辞めて求職中にカフェでアルバイトをしたのがきっかけでバリスタに。かつての職場の先輩と付き合っている。途中からは、素材へのこだわりを持つ頑固で腕利きのシェフ・武島幸夫や、2号店のプリーモでエキセントリックなところのある関拓海らも登場する。そして、忘れてはいけないのが、蒼井の恋人で医者を目指している山城沙代だ。彼女が医学の勉強をするためにアメリカに留学したことが、蒼井にイタリアでのバリスタ修行を決心させたのだ。

 彼らのドラマを際立たせるために、マンガの中では日本でもお馴染みのアメリカ・シアトル系のカフェとイタリアンカフェの違いが丁寧に語られている。シアトル系のカフェはコーヒー以外にはドーナツやスコーンなどが中心。カフェラテもアメリカ人の嗜好に合わせたものでイタリアンバールにはなかったメニューだ。シアトル系のチェーンが日本中に開店したことで、イタリアンバールは苦戦を強いられている。やるべきことは、違いがわかっていないお客に本場イタリアの味を知ってもらい、バールの居心地良さを知ってもらうこと。

 グルメマンガには欠かせない勝負ネタも出てくる。ワールド・バリスタ・チャンピオンカップ(WBCC)だ。これがまたバリスタという仕事のすごさを際立たせる役目を果たしている。
 もちろん、蒼井の淹れる1杯の“カッフェ”がお客や仲間たちを幸福にする、ハートウォーミングな読み切りエピソードもたくさん。このへんの調合というか、バランスも絶妙。バールで“カッフェ”を味わうように読みたいマンガだ。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年5月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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