『山よ奔れ』
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山笠があるけん博多たい――『山よ奔れ』著者新刊エッセイ 矢野隆
[レビュアー] 矢野隆(作家)
「こっから先は通れんばい」
トラックのハンドルを握る私に、褌(ふんどし)姿の男はそう言った。
「なんでですか?」
「山笠(やまかさ)が通るけん」
当たり前のようにそう言うと、男は尻をあらわにしたまま、雑踏のなかに消えていった。小説家になる前、私がトラックで花を運んでいた頃の話だ。
山笠とは、七月に福岡で開催される祭である。飾り付けられた神輿(みこし)を担いで、博多(はかた)の街を駆け抜ける祭だ。
こっちは仕事、一分一秒を争っている状況である。そんな時に褌男は、さも当たり前のように車を止め、祭を優先させた。交通規制がかかっていれば、私だって素直に従う。が、突然であった。いきなり車は男によって止められたのだ。
それが博多。それが山笠なのだ。
福岡では、山笠の期間中に休暇を取る男性が当たり前に存在する。山笠の間、平日の昼日中から褌姿の男の人が町を闊歩するのは、さほど珍しい光景ではない。
いったいこれは、なんなのだ? 長年、福岡に住んでいる私にも、正直理解できない所がある。私にとって博多に住む、山笠に命を懸ける“のぼせもん”という人種の特殊な気風は、理解できぬ物でもあり、憧れの対象でもあった。
福岡といえば博多、博多といえば福岡である。
初めて福岡を舞台にした小説を書くということになった時、題材にするなら山笠しかないと思うのは、私にとってごく自然なことだった。
焦る私を置き去りにして颯爽(さつそう)と去ってゆく褌姿ののぼせもんの姿が、今でも目に焼き付いている。あの男こそが博多そのものなのだ。
山笠という祭を通して、博多の男たちの訳の解らない熱を感じていただければ、幸いである。