こどもだけで行く、江戸から伊勢へ456キロの旅『てくてく ~東海道ぬけまいり~』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第43回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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江戸の東海道をマンガで体験
『てくてく ~東海道ぬけまいり~』山崎浩

 このところ毎週金曜日、京都のはずれにある学校に非常勤の先生として通っている。前日か当日に一泊できればいいのだけど、近頃は学校も経費にはシビアになっていて、宿泊費が出ない。で、日帰りである。交通費が出るだけありがたいと感謝はしてはいるが、毎週日帰りはちょっとしんどい。知人を相手にそんなことをぼやいていたら、「昔の人は東海道を何日もかけて歩いたんですよ。それに比べたら新幹線で2時間15分なんて楽なもんでしょう」と、逆にハッパをかけられてしまった。まあ、そう言われればたしかにその通りなんだけど……。
 そんなこんなで、今回ご紹介するのは江戸時代の東海道の旅を描いたマンガ。山崎浩の『てくてく~東海道ぬけまいり~』である。作者は、山崎峰水名義で大塚英志と組んで『黒鷺死体宅急便』『松岡國男妖怪退治』などのホラータッチの作品も描いているが、山崎浩名義の本作はほのぼのとした作風だ。

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 タイトルの「ぬけまいり」とは、こっそり家を抜け出して、往来手形を持たずにお伊勢参りの旅に出ること。「抜け参宮」とも呼び、行き倒れても良いように道中がさには名前と出身地を大きく書き、野宿用のゴザを丸めて背負い、手に柄杓を持つというひと目でそれとわかる格好をしていた。柄杓は施しを受けるためで、姿を見かけた人は喜捨するのが通例だった、と昔の本には書いてある。早い話が無銭旅行バッグパッカーの江戸版だ。お伊勢参りという善行を果たすのだから、関所や番所もほぼ黙認状態。帰ったあともお咎めなしだったとか。江戸時代には庶民の間で大流行したそうだが、本音と建前を上手に使い分ける日本人らしい習慣だったと言えそうだ。

 マンガに登場するのは伝十郎=十(じゅう)と言う少年と、いちという幼い少女。十は江戸の材木商・九重千兵衛の孫。いちは、仔細あって九重家に預けられた娘。彼女を置いて伊勢に旅立った父にどうしても会いたい、といういちの願いを聞いた十は、いちを伴いこっそり家を抜け出して、東海道を西へ西へ、ぬけまいりの旅に出たのである。マンガは東海道の宿場町や名所を辿りながら、1話完結連載でふたりの旅路を追っていく。
 子どもだけのぬけまいりというのも江戸時代には結構見られたそうだ。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』には、ぬけまいりの子どもたちが弥次さん喜多さんを翻弄するエピソードが何度か出てくる。ただ、記録に残る子どものぬけまいりには、病気や事故、盗賊に襲われるなどのアクシデントに見舞われて旅先で命を落としたケースも多い。大人以上にリスクの多い旅だったのだ。

 マンガには、そういう悲惨な話は出てこない。真面目でしっかりものの十と天真爛漫で明るいいちが旅先で出会う人々との物語はとてもハートウォーミングだ。
「旅は道連れ世は情け」と言うとおり、平塚宿を出たふたりには新八という仲間もできる。何も考えずに飛び出してきたふたりと違って、世慣れた新八は先達的な役割を果たすことになる。柄杓を持って物乞いをするのがぬけまいりの証と教えるのも新八。川越人足に渡す川札のことや、文無しでも川を渡る裏ワザなど新八の知識はなかなか大したものだ。
 そんな世慣れた新八でさえ敵わないパワーを見せるのが、いちの天真爛漫な可愛らしさだ。可愛いことはいいことなのだ。
 三島宿ではおそろしくけちん坊なおばあさんが営む木賃宿に泊まることになった3人。「ワシの生きがいはもう銭だけずら 他に楽しみはにゃあ…」とうそぶくばあさんだったが、大切にしていたカブトムシのカブ五郎を死なせて悲しむいちの姿を見て、カブ五郎の墓をつくって一緒に拝んでやることに。旅立ちのとき、「バアちゃんやさしいから いち帰りにここにまた泊まるねっ そんでカブ五郎のおはかナムナムする」と手を握ってきたいちに、おばあさんは銭以外の生きがいをみつけるのだった。

 途中からは、江戸から十といちを追って東海道を行く千兵衛と奉公人の三平(さんぺい)も登場して、物語はよりドラマチックに展開していく。千兵衛には、いちの父親の消息もどうやらわかっているらしいのだが……。
 さらに、駿河の原宿からは謎の参宮犬(どうしても伊勢参りができない飼い主などに代わって伊勢参宮を任された犬。これも記録に残っている)の犬五郎も一行に加わり、3人と1匹の道中も一層賑やかになる。旅に馴染んだいちの天真爛漫な行動もパワーアップして、先が楽しみにも心配にもなっていく。

 各話の最後には、作者が探訪した現在の宿場町の様子も紹介されている。これもよく取材されていておもしろい。学校が休みになったら、この本を鞄に詰めて、在来線を乗り継いで東海道の旅をしてもいいかな、などとも考え始めている。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年5月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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