【文庫双六】体にひびいたあの日の短歌たち――北上次郎
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
ブラッドベリ『ウは宇宙船のウ』のほうだが、ここに収録されている「霜と炎」は、私が最初に読んだSF作品なのでとても懐かしい。しかし、その話を始めるとSFから出てこれなくなるので今回は違う話を。
この翻訳が日本で刊行されたのは1968年である。その年から配本が始まったのが學芸書林の「現代文学の発見」で、これは画期的なアンソロジー全集であった。いまなら迷わず全巻を買い揃えるだろう。だが当時は学生なので金がなく、購入する巻を選ぶしかなかった。そうして買った中に第9巻「性の追求」があり、そこに春日井建の歌が収録されていた。
それまで短歌というものをまったく知らなかったので驚いた。そこにはこういう歌が並んでいたのだ。
太陽が欲しくて父を怒らせし日よりむなしきものばかり恋ふ
ミケランジェロに暗く惹かれし少年期肉にひそまる修羅まだ知らず
これらの歌がなぜ若い私の体にひびいたのかわからない。深夜叢書社の『行け帰ることなく/未青年』が池袋芳林堂に並んだのはその直後だったろうか。入り口を入ってすぐの新刊コーナーに歌集を平積みにしていたのだから、当時の芳林堂書店は素晴らしかった。欲しくて何度も手に取ったが高価なので買えなかった日々が懐かしい。
今回書影を掲げた砂子屋書房の『春日井建歌集』はいわゆる文庫判でないことをお断りしておく。「現代短歌文庫」の1冊ということでお許しいただきたい。残念ながらこの歌集には収録されていないが、私のいちばん好きな歌を最後に引いておきたい。
夜学より帰れば母は天窓の光に濡れて髪を洗ひゐつ
この歌の向こうに若い私がいる。夢もおそれもなく、ただ本を読んでいた若き日の私がいる。