“黒い報告書”より黒い犯罪小説/前川裕『アンタッチャブル 不可触領域』

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アンタッチャブル : 不可触領域

『アンタッチャブル : 不可触領域』

著者
前川, 裕, 1951-
出版社
新潮社
ISBN
9784103351931
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

“黒い報告書”より黒い犯罪小説

[レビュアー] 香山二三郎(コラムニスト)

 われら中高年世代にとって“アンタッチャブル”といえば、まずエリオット・ネスに、シカゴ特捜班ではなかろうか。

 一九二〇年代、いわゆる禁酒法時代のアメリカ・シカゴの暗黒街は顔役アル・カポネに牛耳られた。その逮捕に向けて結成されたのが財務省酒類取締局のエリオット・ネス率いる特別捜査班で、“アンタッチャブル”と呼ばれた(誰にも手出しの出来ない、賄賂の通じない、の意)。後年、それはネスの自伝を元に作られたテレビドラマにも使われ、日本でも一九六一年五月から放映されて人気を博したのである。

 前川裕は二〇一二年、長篇『クリーピー』で第一五回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞して作家デビューを果たした。『クリーピー』は犯罪心理学者の大学教授が近所で次々に起きる事件に巻き込まれていくサイコサスペンス系の犯罪小説で、著者はその後も独自の犯罪小説世界を構築してきたが、『アンタッチャブル』というタイトルを聞いて、つい、かつての特捜班対ギャングの抗争劇を髣髴させる捜査活劇に挑んだのかと思ったのも無理からぬこと。

 それはだが、筆者の早合点だった。

 本書はアンタッチャブルはアンタッチャブルでも、この著者ならではのアプローチで手出し不可能な人間の闇を浮き彫りにした犯罪小説だったのである。

 物語はプロローグののち、二〇〇二年の夏から始まる。元芸能マネージャーの保住忠文は居酒屋の非常勤店長をしながら、今も俳優北森重三の面倒を看ていた。北森は一九六〇年代、連続テレビドラマ「南十字星の怪人」で一世を風靡した人気俳優だったが、わがままで女癖も悪く、やがて人気は凋落、今では認知症の症状も出始めていた。複雑な愛憎を抱えつつもこの男を見捨てることが出来ずにきた保住だったが、将来の不安もあり、ついに彼を遺棄しようと画策を始める。

 一方その頃、ボクシングの元全日本ライト級チャンピオン瀬尾健一は、阿佐谷の中華料理店でバイトをしながら三栄ジムでトレーナーを務めていた。現役時代は鉄壁の防御で“アンタッチャブル”の異名を取っていたが、今ではうだつが上がらぬまま、女房にも逃げられる始末。さらにバイト先でも、一緒に働いていた女子中学生が主人の不手際で火傷を負い、それをきっかけに不穏な雰囲気が漂い始める。

 前半はこの保住と瀬尾の物語が交互に描かれていく。北森重三のモデルはずばり、「怪傑ハリマオ」の主役勝木敏之だろう。北森が演じたレッド・スコーピオンは、マレー半島を舞台に「馬に跨がって海岸線を疾駆する、サングラスを掛け頭にターバンのような布を巻いた」ヒーローだというが、それはまさにハリマオそのまま。勝木敏之は現在消息不明らしいが、著者はその謎めいた近況からヒントを得たのかもしれない。となると、瀬尾のモデルは現役時代にやはりアンタッチャブルの異名を取った元世界チャンピオンの川島郭志――といいたいところだが、川島選手はスーパーフライ級だったし、ジム経営者として近況もはっきりしているので、ちょっと違うかも。

 まずは主人公ふたりのキャラクター造形からして興味深いが、物語のほうは、保住の北森遺棄と瀬尾の身辺崩壊劇がどう絡んでいくのか、なかなか先を読ませない。何ら接点が見出せぬまま、遺棄劇のほうは前妻による北森引き取りの申し出があり、瀬尾のほうはバイト先の中華料理店が乗っ取られてしまう。この、双方どんどんキナ臭いほうへとなだれ込んでいく不条理な展開こそ前川スタイルというべきか。

 もっとも、ちゃんと伏線は張られていて、保住や瀬尾がどんな犯罪に巻き込まれているのかも次第に見えてくる。ドラマや映画の「アンタッチャブル」のようにギャングが出てくるわけでも、プロの暗殺者が出てくるわけでもないけれども、本書で描かれる犯罪はすこぶる猟奇的かつ凶悪だ。身の回りに普通にいそうな小悪党でも、いったん暴走が始まると歯止めがきかなくなるというか。

 瀬尾はアンタッチャブルと呼ばれていたが、彼が単独の主人公というわけではない。表題にはもっと深い意味がある。物語後半には、女性キャリア警官視点による捜査小説趣向も織り込まれ、最後まで予断を許さない作りになっている。一見信じがたい話だが、こういうのって実際に現実にありそうで、ホント怖いのだ。

新潮社 波
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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