日野原重明さんが経験した事件・残した功績は「計り知れない」と稲垣吾郎[ゴロウ・デラックス]

テレビ・ラジオで取り上げられた本

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 稲垣吾郎さん(43)が司会を務める読書バラエティー「ゴロウ・デラックス」の28日の放送で、18日に亡くなった医師の日野原重明さんの追悼企画が行われた。日野原さんの105年の生涯を振り返りながら稲垣さんは哀悼の意をあらわした。

■新しいことに挑戦し続けた日野原さん

 日野原さんは「ゴロウ・デラックス」に2015年10月に出演していた。その回では104歳のときに発表した句集『10月4日 104歳に104句』(ブックマン社)がとりあげられていた。生涯新しいことに挑戦しづつけた日野原さん。俳句は98歳からはじめたという。同書には当時の日野原さんの日常が垣間見える写真や直筆の絵画も収録されている。

 番組では日野原さんの足跡を追い、日野原さんが医療界に残した数々の功績が紹介された。戦後間もない40歳の頃渡米をし、アメリカの医療の意識の高さに刺激を受けた日野原さん。帰国後の1954年日本初の人間ドックの開設メンバーとなる。また1996年にはそれまで使われていた「成人病」という言葉を「生活習慣病」と改称し、日本人の病気に対する意識の改革を果たした。

■事件に遭遇し変化した意識

 日野原さんは105年の生涯のなかで社会的に大きな事件に何度も遭遇していた。1970年赤軍派が北朝鮮へ亡命を図って起こしたよど号ハイジャック事件。偶然にも日野原さんはハイジャックされたよど号に乗り合わせており、死を覚悟するほどの経験をした。当時日野原さんは58歳。その極限状態で生き残ったことにより、「これからの私は誰かのために尽くそうと思った」と事件により心境が変化したことを明かした。

 また1995年オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件で、640名もの被害者が運び込まれた聖路加国際病院で陣頭指揮をとったこともあったという。日野原さんの壮絶な経験を聞いた稲垣さんは「計り知れないよねえ」と感嘆の声をもらしていた。

■人生後半の生き方

 日野原さんは109歳になる年に迎えるはずだった東京オリンピックを楽しみにしていることや、さらにその先の人生までをも考えていると番組で語っていた。

 日野原さんは2001年に著し大ベストセラーとなった『生きかた上手』(ハルメク)のなかで、「人生の後半は、自分に与えられた知恵やセンスや体力を今度は社会にお返ししていく段階です。(略)人生のぎりぎりまで考え感じ、働ける人間でありたい。そのための努力を惜しまず、時に耐えて、授かった知恵を若い人に与えたい。それが私の生きがいであり、私という存在に意味を与えてくれるものです」と述べている。

 日野原さんはまさに社会に貢献する姿を身をもって示しながら、長寿・健康を体現してきた。番組最後に稲垣さんは「日野原重明先生どうか安らかにお眠りください」と哀悼の意をあらわした。

「ゴロウ・デラックス」はTBSにて毎週木曜日深夜0:58から放送中。次回の放送は8月3日。ゲストは小説家の東山彰良さん。

BookBang編集部

Book Bang編集部
2017年7月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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