宇野亞喜良インタビュー マジョリカ マジョルカ「マジョル画」を生み出したイラストレーターの頭の中

インタビュー

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定本薔薇の記憶

『定本薔薇の記憶』

著者
宇野, 亜喜良, 1934-
出版社
リットーミュージック
ISBN
9784845630431
価格
990円(税込)

書籍情報:openBD

宇野亞喜良インタビュー マジョリカ マジョルカ「マジョル画」を生み出したイラストレーターの頭の中

[文] 立東舎

『定本 薔薇の記憶』は、イラストレーターの宇野亞喜良が折に触れて執筆してきたエッセイを1冊にまとめたもので、古いものは1960年代にまで遡る。宇野は40年以上に渡って文章を綴ってきたわけで、その作品の随所にテキストが添えられていることと考え合わせても、「言葉」をいかに大事にしてきたかが分かる。また絵画はもちろん、映画や演劇、人形、ステンドグラス、友人など、さまざまなテーマがピックアップされ、独特の文体で語られている。交友関係についても寺山修司、横尾忠則、森繁久彌、やなせたかし、川村毅、阿川佐和子……と幅広く紹介され、「宇野亞喜良を作り上げているもの」を知るためにも、最適の書籍となっている。宇野本人に、本書の話をいろいろ伺った。

宇野亞喜良
宇野亞喜良

■体験的な類推では効かない記憶を持つ読者たちへ

――2000年に単行本として出版された『薔薇の記憶』が、今回『定本 薔薇の記憶』として立東舎文庫に仲間入りをしました。

宇野 文庫本っていうのは、僕たちの世代は好きですよね。友達の家に行っても、文庫本を書棚に飾っている、みたいな感じでしたから。機能的にポケットに入れられるとかいうことよりも、文庫には本としてのイメージ、感覚がありますね。コレクションとして、本棚に飾っておくような。

――友達の書棚を見て、「ああ、こういうのを読んでいるのか」という感じで、その人を知るみたいな感じでしょうか。

宇野 そうですね。昔でも今でもそうだろうけど、漱石とかはだいたい文庫で読み始めますよね。名作みたいなものは、だいたい文庫で読んでいる。ただ『薔薇の記憶』には古い映画のことなんかも書いていて、僕にとっては懐かしい古い映画なんだけど、いま読む人はどう思うのかなっていうのはありますね。でも、60年代を体験していないはずの人が、割と60年代を知っていたりして、体験的な類推では効かない記憶を持っていたりする。そういう、スノビッシュな人が読んでくれたらいいのかなって思いますね。

■俳句とイラスト、テキストで構成した巻頭カラー

――今回は文庫化するに当たり、巻頭と巻末に最近のエッセイを追加で収録しています。

宇野 巻頭にカラーで掲載した「メルヘン句楽部」は、『俳句四季』という月刊誌に連載したものです。片ページが絵で、片ページがテキストという見開きのコーナーなのですが、僕は少し絵を大きくしてスクエアにしています。結城座という人形劇のお芝居を観に行ったら林静一さんにお会いして、それで『俳句四季』の編集者に紹介されたのが連載のきっかけです。その後は、僕の友人たち(ささめやゆき/寺門孝之/野村直子)をずっと回っているんですけど。

――テレフォンショッキング的につながっている(笑)。

宇野 ええ。1年間だから12編書けるわけですけど、僕は自作の俳句にこだわらないで、人の詩の一部をいただいたりとか、そういうことをやっています。でも、みんなは誠実に俳句だけでやっているみたいですね(笑)。

――絵がカラーで掲載されていて、すごく良いですよね。

宇野 文庫の大きさも、絵に合っていて可愛いと思います。

巻頭に掲載されている「メルヘン句楽部」より
巻頭に掲載されている「メルヘン句楽部」より

■コピー誌に連載された「話の横道」

――そしてもう1つ追加で掲載されたのが『月刊てりとりぃ』で連載されていた「話の横道」ですね。

宇野 これも絵と文章の連載ですが、何となく始まったものです。

――各号150部しか刷っていないコピー誌に宇野さんが連載をされているというのは、なんとも贅沢ですよね。

宇野 編集長の濱田(高志)さんは、そういうちょっと不條理なことをやらせてしまう、不思議な人なんですよね。今回の復刊も、濱田さんのコーディネートですし。

――「話の横道」というタイトルも良いですね。

宇野 以前、東京新聞でやはり俳句と絵の連載をしていたのですが、それが貯まったので『奥の横道』(幻戯書房)という本になっているんですね。このタイトルをまたちょっと曲げて、ということですね。「話の横道」では寺山さんのこととか、いろいろ書いていますね。

――俳句は本文でも触れられていますし、かなりお作りになるのですか?

宇野 確かに、始めたころのことを書いていますね。でも、こういう連載なんかが終わってしまうと、俳句はすっかり書かなくなってしまうんです(笑)。

宇野のアトリエにはさまざまなオブジェが置かれている
宇野のアトリエにはさまざまなオブジェが置かれている

■寺山修司の思い出

――寺山修司さんのことも、本書では何度か出てきますね。

宇野 僕は60年代に「For Ladies」というシリーズで、寺山修司さんのものに絵を付けていて、そこで女の子を意識的に描くようになったんですね。だから寺山修司という人とは叙情的なところで僕は付き合っていて、寺山修司はそこで随分ファンを獲得した。でも、そういう感傷的なというか、少女のためのものを書いている作家ということに甘んじているのが嫌だったんでしょうけれど、それから2~3年して天井棧敷というアンダーグラウンドの前衛劇団を作るんです。そして、劇団を作る時のメンバーには横尾忠則が入っていて、僕を入れてくれていない(笑)。僕を入れるときっと、「少女のためのものみたいに、甘くなってしまう」という考えがあったんでしょうね。

――『毛皮のマリー』で寺山さんと一緒にドイツに行かれた話も、本書には収録されています。

宇野 初演の時は横尾忠則がやっていて、主演は美輪(明宏)さんです。でも、横尾忠則の舞台装置はサイズ違いで劇場に入らず日の目を見ないままで、美輪さんのところにある絵とか、そういうのを持ち込んだはずです。だから、初演は寺山さんの美術だったんですね。で、二度目くらいから僕はやっているんです。面白いですね。

――一度は外されてしまったけど、すぐにまた一緒になったわけですね。

宇野 和田誠がADをやっていた『話の特集』という雑誌で、僕は栗田勇という人のちょっと耽美的なものの挿絵を描いていたんですね。で、しばらく経って寺山修司もその雑誌に書くことになって、僕が絵を担当することになったんです。それで、アングラの寺山修司的なものを描いていて、まあ気に入ってくれたというか。そういうことでしょうか。

――そういった流れで、宇野さんにお仕事に演劇の美術やポスターが多いのですね。構成台本や台詞まで書かれているのは、驚きですが。

宇野 寺山さんが亡くなってからの方が、僕は演劇にかかわることが多くなったんだけど、寺山修司の中に、寺山さんが否定する抒情性や感傷的な世界があると思うんです。「星の王子さま」なんかは一種の犯罪劇で、サン=テグジュペリの『星の王子さま』とは全く関係が無いんだけど、寺山さんのホンを読むとラブホテルの執事みたいなのが出て来て、それと「ひつじ」を引っ掛けているとか、そういうところでつながっているんですね。だから、ティッシュペーパーのボックスを持ってしょっちゅう食べている女を出したり(本当は紙を食べるのはヤギなんですけど)、人形劇で本当の星の王子さまを出したりしてないまぜにして、女の子の好きそうなものも入れちゃうということをやったりしました。

■イメージのしりとり

――本書ではクリエイティブのことも書かれていて、面白かったのは「メタモルフォーセス」に書かれていた、「しりとりでイメージをつなげていく」というお話です。やはり、宇野さんの中で言葉というものはとても大事なものなのだなって思いました。

宇野 イメージを伴った言葉というものを、しりとり的に連想していくんですね。例えばアンダーヘアだったら、「ちりちりしている植物ってなんだろう」「シダ類で、沼地に生えている」とか、そういうイメージを伴った連想ですよね。唐桟縞っていうちょっとイレギュラーな着物の縞だったら、「竹やぶの中の家には唐桟のような陽が射すんだろうな」という意味になったり。だから、映像と言葉を一緒になって記憶している、というようなことですね。

――最近のシリーズでも、漢字を解体するようなものがありましたよね。

宇野 「ことば」シリーズですね。「慾」という字だったら、「心」が「欲」しいということで、ハートを射抜いている絵が入っている。あるいは、「月」も「王」も「亡」びて、その上、何を「望」むのでしょうか、という絵だったり。「姿」の良さとは、「次」のポーズへ移る「女」の美しさ、みたいなことで。そういうことを考えるのは、好きですね。

――意味とイメージの関係性に、シュールレアリズム的な匂いもしつつ、軽さも備えている。

宇野 確かにシュールな要素は好きですね。ただ、あまり大真面目にそれをやるのも、ちょっとバツが悪いところがありますよね。だから、都会的ではないけれど、ダジャレっていうか、ユーモアみたいなものがある感じです。

黒蜥蜴、ケシ……ここにもイメージのしりとりが?
黒蜥蜴、ケシ……ここにもイメージのしりとりが?

■急遽差し替えられたカバーの絵

――今回、カバーの絵が発売前に急遽変更になりましたよね。

宇野 ジャンルの感じが、元の絵だと1つの感じしかないのかなと思いまして。例えば、絵で言えば抒情的なところしかつかめないのかな、もうちょっとあいまいにしたいな、と。もうちょっとグロテスクな味とか、いろんなものがある、あいまいなものにしたいなと思ったんですね。元の絵は、ちょっとパターンを決めすぎていたというか。

――元の絵を好きな方も多かったのですが、確かに新しい絵の方がいろいろに解釈できそうな作品ですね。

宇野 「薔薇のピエタ」という、キリストを磔から下ろしたときにマリアが息子を抱えている絵のモチーフがよくありますけど、今回は薔薇をキリストに見立てています。理由みたいなことは、主観でよく分からないんですけどね。茨の冠の感じを、少し出したりもしています。

――マリアが着ている服は、ちょっと不思議な感じですね。

宇野 時代考証とか土地性みたいなことはあまり考えずに、僕は勝手に描いているんですけど、絵画ってそういうものですよね? レオナルド・ダ・ビンチに「最後の晩餐」という横長の絵がありますけど、本当はあの辺の人たちは寝転がって食事をするということで、僕はそういう「最後の晩餐」を描いたりもしています。だからみんな、その時代のシークェンスに置き換えるというか、そうせざるを得ないんでしょうね。

――そういうものなんですね。では最後に、今後のご予定を教えてください。

宇野 六本木ヒルズのA/Dギャラリーで2017年9月に個展を予定しています。「メルへニズム」というネーミングにしたのですが、「かえるの王様」「浦島太郎」「長靴をはいた猫」「不思議の国のアリス」のトランプを描いて、それを展示します。そのトランプは実際に発売もするんですけど、カードやパッケージのデザインもしています。僕は絵を描くのも好きだけど、こういうデザインも好きだから楽しいですね。

構成/写真=編集部

立東舎
2017年9月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

立東舎

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