ページの上で言葉が生きて動く「力量」の2篇

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ページの上で言葉が生きて動く「力量」の2篇

[レビュアー] 小山太一(英文学者・翻訳家)


文學界2017年9月号

 水原涼塔のある村」(文學界)は、今回読んだなかで最も力量ある作品だ。

「力量」の文字通りの意味は「力の量」である。作品の力量は、どれだけの力がページの上で有効に働いているかによって決まる。「有効に」とは、その力によって言葉が生きて動いているということだ。

「塔のある村」の主題は、題名にある「塔」が鳥取県の小村の人々の肉体と精神に及ぼすさまざまな力である。その力の作用が、まれに見る活動性を帯びた言葉で描き出されている。

 塔の建立を思い立ったのは、太平洋戦争のビルマ戦線で地獄を体験して帰ってきたひとりの兵士。だが、彼の説明でさえ塔は「光の塔」だったり「太平洋戦争慰霊塔」だったり「焔の塔」や「ビルマ塔」や「鳥取地震慰霊塔」だったり、いったい何なのか判然としない。ある登場人物が言うように、塔は「何の理由付けもなくただ見上げるためだけに建てられた」のである。

 ただそこに立っているだけで、この塔は村の人々の生と死に力を及ぼし続ける。その働きは、視点人物が次々に入れ替わるにつれて(視点動物までいる!)自在に形を変えてゆく。生と死の活劇は常に変転しながら、戦中と現代に鳥取で起きた地震を焦点とした円環をゆるやかに形作る。人物たちの視点と声の書き分けの巧みさ、そして構成の的確さが、この作者の書き手としての力量を余すところなく伝えている。


新潮2017年9月号

 町田康湖畔の愛」(新潮)もたいへん活劇的な作品。もっともこっちの活劇性は、意識的にスラップスティック(ドタバタ喜劇)だ。

「周囲を山に囲まれた神秘的な湖」を見下ろすホテルに登場するのは、ひとりの絶世の美女の愛を求めて演芸で対決する演劇研究会の俊英ふたり、伝説の芸人横山ルンバ、ホテルのベルボーイに偽物の骨董をつかまされた元ヤクザたち。彼らが時に地を這うがごとく、時に九天の高みに駆け上りつつ繰り広げる騒動は〈技巧的なベタ〉とも言うべき喜劇性で活写されている。

 同時に、そのベタから絶えず身をかわし続ける文章のリズムが心地よい。これまた独自の力量だろう。

新潮社 週刊新潮
2017年9月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク