欲望渦巻く京の都で生まれた「謎」を解き明かす 『応天の門』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第59回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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平安の京都を舞台に謎解きに挑む
『応天の門』灰原薬

 来月から大学の後期授業が始まる。後期にはデジタルコンテンツ関係の学校でマンガやアニメのことを教えていて、毎年教材に使っているのが、平安時代末期に常盤光長が描いたとされる『伴大納言絵巻(伴大納言絵詞)』だ。
 貞観8(866)年に京都で起きた応天門の変を題材にした絵巻物で、日本四大絵巻のひとつ。国宝にも指定されている。その躍動感あふれる表現は、のちに、ソビエトの映画監督、セルゲイ・エイゼンシュテインに影響を与え、モンタージュ手法と呼ばれる彼の映画技法のベースになったとも言われている。
 授業では、横長の紙に右から左へと連続して描かれた絵をスキャンして場面ごとに切り出し、パワーポイントで順番に映して、マンガのコマ割りやアニメのカットとの関係を説明している。今年はそれに加えて、今回紹介するマンガのことも語る予定だ。
 応天門の変があった時代を背景に、平安時代を代表する歌人でプレイボーイの在原業平と学問の神様・菅原道真が協力して怪事件を解決する王朝ミステリ『応天の門』である。

 ***

 作者の灰原薬は、2006年にメジャーデビュー。2013年から『月刊コミック@バンチ』に連載中の本作で、2017年の文化庁メディア芸術祭マンガ部門の新人賞を受賞している。
 舞台は平安前期。藤原北家を率いる左大臣・藤原良房は朝廷内での勢力を強め、さらに権力を確実なものにするため、姪の高子を年若い帝に入内(じゅだい)させるつもりだった。
 そんな折も折り、良房の従兄弟・藤原親嗣(ちかつぐ)の屋敷から夜な夜な端女(はしため・下女)が姿を消すという事件が起きた。人々は鬼の仕業と恐れたが、都を守護する検非違使(警察)を率いる左近衛権少将・在原業平は、これにはカラクリがあると睨んでいた。
 一方、現場の検非違使たちが目星をつけた容疑者は、大学寮の落第生・紀長谷雄(きのはせお)。消えた端女のひとり小藤に長谷雄が言い寄っていたという証言があったのだ。
 検非違使たちが大学寮に踏み込んだという話を聞きつけた業平は、親戚筋に当たる長谷雄を救い出すために駆けつけ、そこで文章生(研究生)の菅原道真と出会う。実は、この前夜、人妻との逢瀬から戻る業平は、四条門の上に腰掛け月明かりで本を読む道真と出会っていたのだ。業平が六条のさる貴族の屋敷からの人目を忍んだ帰り道と見破った洞察力と博識を見込まれた道真は、業平から無理やり、真犯人捜査への協力を約束させられる。
 これが腐れ縁になって、都に起きる様々な事件に関わることになる二人。その関係は、ホームズとワトソンではなく、ガストン・ルルーの密室ミステリの古典『黄色い部屋の秘密』に登場する弁護士で事件の記録者・サンクレールと若き新聞記者で謎解きの天才・ルールタビーユに似ている。

 タイトルにもなっている応天門は、平安京の政治や儀式の中心だった朝堂院の正門。業平は、門の内側は「鬼の巣窟」だという。

 第2エピソードは、誰も姿を直接見たものはないが、才色兼備と噂の高い玉虫姫をめぐるお話。貴族たちは彼女のもとに貢物を贈り、恋文を寄せ続けて、中には頓死するものまで出てくる始末。権力者たちも玉虫姫を利用しようと考え、大納言・伴善男は玉虫姫を帝に入内させようと目論む。
 業平と長谷雄もご多分にもれずまだ見ぬ玉虫姫に御執心。道真はまたまた事件に巻き込まれることになる。
 このエピソードでは、新しいキャラクターが加わる。漢学の素養を持つ女官・白梅である。彼女は元学者・森本の翁に仕えていたが、翁の死後、菅原家で書庫の整理などを任されるようになる。見目は麗しくないが、業平の心にもない口説き文句にのぼせ、ほのかな恋心を抱くようになるあたりなかなか可愛い。

 ストーリーは、概ね1~4話で1エピソードという形式で、業平と道真のコンビが魔物の仕業とされる怪事件の裏に潜む謎を暴いていくというスタイル。その一方で、道真と死んだ兄の関係や、反藤原の動きを強める業平と良房や彼の甥でのちに養子になる基経らとの対立。宮中で暗躍する伴大納言、といった人間関係が生々しく描き出される長編ストーリーになっている。その流れはよどみなく、まるで絵巻物のようだ。

 個人的に好きなキャラクターは白梅と藤原高子の女性二人。頭はめちゃくちゃいいのに天然なところが抜けない白梅に対して、高子は奔放な女。かつて業平との恋に身を焦がし、駆け落ちまで試みたという行動力の持ち主だ。入内という運命が決まった今でも業平への恋心は捨てておらず、良房や基経が業平への警戒を募らせる原因にもなるという危険な女なのだ。
 もうひとり気になる女がいた。都の遊技場の元締めで屈強な男たちを手下にする謎の美女・昭姫だ。遊技場に長谷雄が出入りしていたために、道真たちと関わるようになるが、度胸は満点で、大陸からの渡来品(唐物)に関する知識は道真が当てにするほどだ。
 男ではコメディリリーフ役の長谷雄のおとぼけぶりがいい。ストーリーもキャラも謎解きも優れた、一級のミステリマンガである。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年9月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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