野良着が似合うお姉さんにときめく 『猫のお寺の知恩さん』オジロマコト|中野晴行の「まんがのソムリエ」第63回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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田舎のお寺を舞台にした王道ラブコメ
『猫のお寺の知恩さん』オジロマコト

 知人が千葉県の外房地方に引っ越した。かつてマンガ家・つげ義春が暮らしたこともある大原町の近所。田んぼの真ん中の古家を借りての田舎暮らしである。
 古家は一部リフォームされていて、トイレは浄化槽式の水洗で、お風呂もガス焚き。汲み取りや薪ではない。都会に比べて部屋が広いのがなによりだ、という。買い物は自転車で地元の朝市や直売所に行けば新鮮な食材が揃う。最寄り駅は無人駅で、夜には辺りが真っ暗になるが、カエルや虫、キョンの鳴き声が時折聞こえて、それほど寂しくはないのだとか。
「なるほど、田舎暮らしという手があったか。今やネットを駆使すれば物書きの仕事はどこでもできる。田舎に広めの家を見つけて、自宅と東京の仕事場を一本化すればいい」と安易に考えて、先日から物件探しを始めた。
 小旅行気分で小一時間、電車にゆられていく先は空気もきれいで気持ちがいい。まだ「これ」という物件は見つからないが、気長に探してみようと考えている。
 そんな中で選んだマンガはオジロマコトの『猫のお寺の知恩さん』である。

 ***

 田舎のお寺と高校が舞台のほんわかとした青春マンガだ。
 須田源は15歳。両親と折り合いが悪く、家を離れて県外にある山の上並高校に進学することを決め、幼い頃に一度預けられた遠い親戚のお寺に下宿することになった。駅までバイクで迎えに来たのは古寺澤知恩19歳。ふたりは血の繋がらない従姉弟である。
 お寺は良く言えば、歴史のある建物。かなり傷んでいて、トイレは未だに建物の外にあり、お墓の横を通らないと行けない。
 たしか、自分の母の実家が檀家になっていたお寺がそうだった。小学校の時に泊まったことがあるが、夜中のトイレが怖くて、ひと晩中我慢していたことを覚えている。外が明るくなって、あわててトイレに駆け込んだのだった。

 知恩の両親はお寺を継がずに海外赴任中。住職だった祖父が亡くなってからは、知恩と祖母のふたり暮らしだ。ほかに家族は柴犬のテンとたくさんの猫たち。
 ひとつ屋根の下で暮らす男子とお姉さん、といえばラブコメの王道だ。高橋留美子の『めぞん一刻』をはじめ数々の名作が生まれている。

 とにかく、知恩さんの天然ぶりというか大らかさがいい。今どきの都会の19歳とはかなり違っているのだ。おだやかで、やさしく、茶目っ気もあり、少し抜けていて、おしりがセクシー。源のことを、かつてお寺に預けられていたのときのままの子ども扱い。その大らかで大胆な行動に、源はドキドキ興奮しっぱなしだ。
 どこか一点が魅力的というのではなく、全体から魅力が伝わってくる知恩さんの描き方がうまいなあ。同じ作者の『富士山さんは思春期』もそうだったけど、女性の描き方に長けたマンガ家なのだと思う。

 ある日、テンを散歩させていた源はひとりの少女と出会う。見知らぬ源を犬泥棒と間違えて追いかけてきた少女は、昼間陽子。春から源と同じ高校に進むのだという。陽子は知恩さんとも仲がいいご近所さんだ。知恩さんは源と陽子を早くも友達同士と認識して、温かく見守り始める。このへんの微妙な三角関係も素敵だ。
 一方、お寺の檀家衆は、お寺を存続させるためには知恩さんが僧籍のある男性を夫に迎えるのが一番だと考えて、祖母にどっさりと見合い写真を預けている。その気のない知恩さんは、坊主たちの見合い写真で「ぼうずめくり」をしているのだけど……。
 マンガは源や知恩さんや陽子の何か起きそうでなかなか起きない日常を、田舎のおだやかな空気の中で追っていく。変化がないのかといえば、それなりの変化はちゃんとあって、高校に入った源と陽子は剣道部に入って新しい仲間ができるし、思わぬところに源の恋のライバルは現れるし……。
 そんな主人公たちをおだやかに見守る知恩さんの祖母の存在も大きい。もちろん猫たちやテンも重要な役目を担っている。

 何気ない日常を積み上げながら、少しずつ登場人物たちの関係性が変わっていく、という手法も1980年代のラブコメ黄金時代を彷彿とさせる。読んでいて、ふと懐かしい思いがこみ上げてくるのは、自分自身がまだ恋をしていた頃のマンガに近いものがあるからかもしれない。
 こういうテンポのマンガを、めまぐるしく移り変わる都会や都市近郊を舞台に描こうとするとおそらく相当の無理が出るだろう。登場人物たちがゆっくり進もうとしても、周囲の状況が許さないのだ。その意味では、舞台設定は絶妙だ。
「ああ、やっぱり田舎に暮らしたいな」と思わせるだけでなく、読んでいるだけで田舎暮らしの気分を味わえるマンガなのだ。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年10月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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