このマンガは、狂気と執念そのもの――!『怪奇版画男』唐沢なをき|中野晴行の「まんがのソムリエ」第64回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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恐怖の彫刻刀があなたを刻む!?
『怪奇版画男』唐沢なをき

 最近の特撮映画には、観ていて「このシーンはどうやって撮ったんだろう」と思わされることがほとんどなくなった。キューブリックの『2001年宇宙の旅』(日本公開1968年)の無重力シーンなどは特撮の裏舞台を想像するだけでわくわくしたものだったのに。いまは「これはCGだな」ということが観る側にもわかっているから、どんなにすごい場面が出てきても、ちょっとさめた目で見てしまう。技術の進歩は素晴らしいと思うが、なくなってしまった楽しみもあるのだ。
 マンガもしかり。かつては、マンガを読みながら「これの線は何だ」「筆か?」「これはペン先をニッパで切った加工ペンだ」「ガラスペンかも」と創作現場を想像する楽しみがあったのだ。原画を見る機会があると、さらに発見があって、原画展に足を運ぶのもわくわくしたものだった。ところが、マンガ作成支援ソフトが普及して、デジタルでマンガを描く作家が増えると「あ、これもデジタルね」ということになってしまうのだ。ちょっとつまらない。
 今回紹介するのは、アナログならではの面白さが詰まった約20年前のマンガ。唐沢なをきの『怪奇版画男』である。連載されたのは『ビッグコミックスピリッツ21』1994年5月号~97年4月号だ。

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 このマンガの何がすごいかというと、全編のマンガ部分が手彫り木版画でつくられ、吹き出しの文字もやはり手彫りのゴム版画でつくられているということ。それだけで感動ものなのだが、このマンガは単に奇をてらって版画にしたわけではないのだ。版画で描かれているから面白い、ということが読み手にひしひしと伝わるからすごいのである。
 はじまりはある年のはじめ。仕事にかまけてその年の年賀状を出さなかったサラリーマン・山田の前に謎の男が現れる。男は彫刻刀を手に「年賀状出さなかったなあ」と山田に迫ってくる。電柱や木の塀を伝って逃げる山田。怪人は彫刻刀で電柱や塀に版画を刻みながら、山田を追い詰める。ついに山田が力尽きて倒れると、男は山田の上にインクをかけ紙を載せ、バレンで魚拓ならぬ人拓をとってしまう。
 この怪人こそ版画男だ。見た目は、棟方志功の版画に出てくる人物そっくり。版画への情熱は炎のようで、気が短くやたらと彫刻刀を振り回す。性格的には、棟方志功が憧れたゴッホと似ているのかもしれない。どちらにも会っていないのでわからないのだけど、たぶん似ている。
 神出鬼没の版画男は、あるときは「激写」カメラマンとして、あるときは雀士として、あるときは高校野球の監督として、あるときは刺青師の弟子として登場し、版画を彫って彫って彫りまくる。
 雀士として登場した時には、仲間とともに、流れの仕事師・亀との真剣勝負に臨む。使う牌はすべて白。これを手彫りして役を作るという特別ルールを亀にも強いるが、あまりのルールに版画を彫り慣れない亀は戸惑うばかり。窮地に陥った彼は一発大逆転を狙うが……。
 オチに版画ならではのネタがしっかり絡んでるというのがミソで、小学校の図工で版画に悪戦苦闘した日々が蘇ってくる。
 刑事役として出てきた時には、犯人の顔が拇印そのものになっている。刑事ドラマに欠かせない指紋に引っ掛けているわけ。

 版画男のライバルも登場する。最大の敵は当然プリントゴ××だ。そういえば、プリント××コも消耗品のサプライをやめてしまったんだっけ。時代の移り変わりは早い。このマンガが描かれた頃は全盛期だったのに。
 紙版画の少女も登場する。クリスマスの夜、紙版画の少女は街角に立って版画を売るのだが、誰も相手にしてくれない。しかたなく、彼女は自分のために紙版画で物語を折り始める。物語に登場するのは版画男。そして次の朝……、アホらしいはずなのになんだかホロリとさせるラストなのだった。
 2色刷りに挑戦した回では、2色刷りそのものがネタになるし、テクニックと引き出しの多さには脱帽するしかない。
 もちろん、お馴染みの唐沢なをき本人も出てくる。第2話で、停滞したマンガ界に版画マンガでカツを入れようとする唐沢は、版画男に捕らえられ、邸宅に閉じ込められて版画マンガを彫る羽目に。
 このあたりは、なかなか進まない筆ならぬ彫刻刀の苦しみをそのままマンガにしたのかもしれない。リアルタイムでこの回を読んだときには、もうこの先は描かないのじゃないかと思った。翌月号に第3話が載ったときは「うそやろ」と呟いた程である。
 巻末には『別冊少女コミック』97年12月号に載ったスピンアウト作品『怪奇版画少女』も収録。
 なによりも驚かされるのは、あとがき、初出一覧から奥付までもが手彫りだということ。ここまで徹底されるともう脱帽するしかないのであった。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年10月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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