ゴッホの耳 天才画家最大の謎 バーナデット・マーフィー 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ゴッホの耳 天才画家最大の謎 バーナデット・マーフィー 著

[レビュアー] 藤田一人(美術評論家)

◆素直な目と行動力で迫る

 姉の死と自身の病気をきっかけに一人の女性がゴッホの耳切り事件の真相究明にのめり込み、七年の歳月をかけて一つの結論にたどり着く。本書はその軌跡と成果が情感豊かに綴(つづ)られる。

 著者はそれまで、ゴッホの作品を数点しか観(み)たことがなかったという。そんな素人が、世界中の専門家によって研究が積み重ねられてきたゴッホ最大の謎に挑むというのは、無謀な試みと言えなくはない。ただ、素人ゆえに専門家の盲点をつくこともできる。彼女の豊かな想像力と我武者羅(がむしゃら)な行動力、そして時間と手間を惜しまない丹念な実証努力が、それを可能にした。

 一次資料のゴッホの書簡はもとより既存の研究に根拠の薄い逸話、伝説、さらには彼を取り巻くアルルの諸事情に至るまで、幅広くかつ謙虚に、耳切り事件に向き合っていく。その核心はゴッホが自ら切ったのは耳の一部か、全部か。最高権威のゴッホ美術館は一部説をとるが、諸説が入り乱れている。

 そんななかで、一般的なゴッホ像を決定付け映画化もされた伝記小説『炎の人ゴッホ』の作者アーヴィング・ストーンの取材記録から、事件直後ゴッホを診察した医師の取材で得た、耳のスケッチを発見。耳のほぼ全部が切られていたという証拠にたどりつく。

 そんな重要資料が、なぜこれまで日の目を見なかったのかは不思議だが、専門研究の盲点はやはりあるのだ。

 また彼女は、ゴッホが切った耳を手渡したのは定説の娼婦ではなく、娼館で働いていた小間使いの女性であることも探り当てる。では、ゴッホはなぜその女性に自分の耳を渡したのか。遺族から女性が身体に痛々しい傷痕があったと聞いた彼女は、自己犠牲の精神が強かったゴッホが自身の一部を捧(ささ)げることで、傷ついた女性の救いになろうとしたのではないか、と解釈する。

 ゴッホの狂気的行動の一端にも、人間的良心が息づき、それが彼の芸術を高めていった。素人の地道な探求心と想像力がそんなゴッホ像を構築した。
 (山田美明訳、早川書房・2376円)

<Bernadette Murphy> 英国生まれ、フランス在住の作家。

◆もう1冊 

 『ファン・ゴッホの手紙』(二見史郎編訳、圀府寺司訳・みすず書房)。一九九〇年に刊行されたオランダ語版書簡全集の邦訳選集。

中日新聞 東京新聞
2017年10月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク