歴史に残る天才たちの影のドラマ『栄光なき天才たち』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第73回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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栄光なき天才たち
[伊藤智義原作版](1)

伊藤智義[作] 森田信吾[画]

運命に翻弄された偉人たちを描く
『栄光なき天才たち[伊藤智義原作版]』作:伊藤智義 画:森田信吾

 成功をつかむために必要なのは、才能と努力だといわれる。「1%のヒラメキがあれば、99%のムダな努力はいらない」という意味で使ったエジソンの言葉が「ヒラメキより努力が大切」と誤解されているように、日本人は努力を重んじる傾向がある。だが悲しいことに、才能があって人一倍の努力をしても報われない人がいるのが現実だ。
 手塩にかけたプロジェクトが軌道に乗る直前に異動になり後任の成果になってしまったとか。ようやく成約できた取引を上司の手柄にされてしまったとか。そこまでいかなくても、ボーナスの査定を見て、自分よりも能力がなく、努力もしていないやつが高い評価を受けていることに悔しさを感じている読者も多いのではないか、と思う。
「運が悪いのさ」と諦められればいいが、そんなに簡単に割り切れるはずもない。
 1年を振り返り「なんで俺ばっかり」「どうして私には運が来ないの」とお嘆きのあなたにオススメしたいマンガがある。伊藤智義・原作、森田信吾・マンガの『栄光なき天才たち』だ。

 ***

 このマンガに登場するのは、歴史上の偉人たちである。しかし、彼らは偉業を成し遂げながら生前にはほとんど評価されなかったり、時代の流れに翻弄され目標にたどり着けなかったり、偉業を成し遂げたにも関わらずいつしか忘れ去られてしまった人達である。
 電話の発明者とされるグラハム・ベルとほぼ同時期に電話を発明しながらわずか2時間遅れで特許をベルにさらわれてしまったエリシャ・グレイ。南極点到達をライバルのアムンセンと競いながら、遅れを取ったばかりか、帰途遭難死してしまったイギリスの探検家R・F・スコット。戦前のプロ野球・巨人軍で不出世の名投手と評価されながら軍隊で肩を痛めたため解雇され、再び戦場に送られて死んだ澤村栄治。戦前の日本テニス界で、ウインブルドン・ダブルス準優勝、全豪オープン混合ダブルス準優勝などの輝かしい戦績を残しながら、国の威信という重圧に押しつぶされて26歳で自殺した佐藤次郎。日本水泳界のエースとしてオリンピックを目指しながら、戦争によって東京(中止)、ロンドン(不参加)と2度のチャンスを棒に振り、ようやく出場したヘルシンキ大会では水泳選手としてのピークを過ぎていた「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進……。

 私が驚いたのは、その中に、私たちが子どもの頃から偉人伝などで親しみ、千円札の肖像画にもなっている野口英世の名前があったことだ。
 ここに描かれているのは、私たちが知っている野口英世の物語とはかなり違っている。私たちが子どもの頃に読んで知っている野口英世は、貧しい家庭に生まれ、幼い時に囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負ったが、アメリカ帰りの医師の手術で不自由さは残ったものの治癒。その後、苦学をしながら医師免許を取得。アメリカに渡って研究を続け、数々の業績を残しながら、黄熱病の研究のために訪れたアフリカで自らが黄熱病に罹って亡くなった、というものだった。
 ところが、マンガは「彼は日本においては活躍の場さえ与えられていなかったのである」というナレーションからはじまる。徹底したエリート教育が行われていた明治時代の日本では帝国大学を出ていない者はエリートの仲間入りもできない。「学歴の無い」非エリートである英世にとっては日本で研究者として身を立てることは不可能だったのだ。
 最後の望みをかけて渡ったアメリカで華々しい業績を上げた英世は念願の日本凱旋を果たしたが、表向きの歓迎ムードの裏で学界からは完全に無視されてしまったのだった。
 アメリカに戻った英世にとって、新たな医学上の発見を続けることは、日本と自分を繋ぐたったひとつの手段になっていた。欧米では知らぬ人のない大学者になった英世が、黄熱病の研究のためにアフリカに渡ったのも、日本人たちの中に自分の名を残すためだった。
 没後の評価を見る限りでは、英世はその望みを達成したようにも思える。だが、彼が本当に必要としたのは、祖国に自分の居場所を持つことだ。英世を看取った助手のヤングが、英世が壁に飾っていた日の丸を遺骸の上に投げかけ「魂だけでも日本に帰りなさいノグチ」と祈るラストには目頭が熱くなった。

「栄光なき」というタイトルから、「敗残」とか「失意」というネガティブなイメージを読み取る読者がいるかもしれない。しかし、マンガの中の主人公たちはどこかで必ず光り輝く一瞬を見せてくれる。それは彼らががむしゃらに何かを得ようとして行動している姿だ。栄光を掴むか、掴み損ねるかは表裏一体だ。栄光は掴むことが大切なのではなく、掴み損ねることなど考えもせず、ただまっしぐらに目標に向かうことなんだ。全話を読み終わって、つくづくそう思った。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年12月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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