死ぬ前に食べたい、心を支えたあの味――『戦争めし』魚乃目三太|中野晴行の「まんがのソムリエ」第77回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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太平洋戦争を舞台にした究極グルメマンガ
『戦争めし』魚乃目三太

 3年前の春に亡くなった父親が住んでいた家を整理することになった。あらかたは弟と甥っ子が時間のあるときに片付けてくれていたので、こちらは残ったものを確認するだけ。
 ダンボールに入れられた荷物の中に、古いアルマイトの飯盒があったのには驚いた。父親が戦後、シベリアに抑留されていた時代に使っていた物で、「抑留の資料として寄付する」と元気な頃に言っていたからだ。
「なんだ、後生大事にとっていたのか」と思いながらも、持ち帰る荷物に入れることにしたのは、食料の乏しい収容所で食べることがどれほどありがたかったか、父親が話していたことを思い出したからだ。
 家に帰って、仏壇の前に古い飯盒を置いたあと読み始めたのが、今回紹介するマンガ。魚乃目三太の『戦争めし』だった。

 ***

 描かれる舞台は、太平洋戦争中の戦場や、戦後の捕虜収容所。死と隣り合わせの極限状態の中で、兵士たちがいかに食べ物に救われたのか、というドラマがオムニバス形式の短編で描かれている。
 戦争中は食べるものがなかった、と言われているが、人間は何かを食べなければ生きていけない。そして、うまいものを食いたいという欲望は頭の中のどこかに残っている。腹の中に何かがおさまれば良いというわけではないのだ。魚乃目はその人間の根底の部分を見事に描き出している。

 私が好きなのは「幻のカツ丼」というエピソードだ。
 1944年のブーゲンビル島。南の孤島を守る第6師団は、43年11月に連合軍が上陸以降、苦しい戦いを続けていた。44年3月に作戦の失敗で組織的軍事力を失ったのちも、ジャングルに隠れ、連合軍のオーストラリア兵たちとゲリラ戦で戦っていたのだ。
 主人公の山田は、歩兵連隊・小川分隊の兵士。徴兵前は東京・早稲田の定食屋の店員だった。銃を撃つのは苦手だが、めし炊きの腕は一流。小川分隊長以下11人の隊員は、山田がつくる食事の時間を、辛い戦場での無二の楽しみとしていた。
 そして食後は、日本に帰ったら何が食べたいか、という話に興じた。小川分隊長は兵士への思いやりを持った上官で、彼らの話の輪にも喜んで加わった。分隊長が学生時代に食べ損なったカツ丼の話をすると、生きて帰れたら山田の定食屋で集まってカツ丼を食べよう、とみんなが声を揃えた。
 ある日、水汲みに出た山田たちは、ジャングルで落下傘のついた木箱を見つける。それは連合軍の補給食料だった。敵兵に見つかり銃撃を受けながらも、食料を持ち帰った山田たち。足に銃弾を受けた山田は、奪ってきた食材を使い分隊みんなのためにカツ丼を作る、と言った。
 山田が丹精込めたカツ丼をしみじみ味わう隊員たち。これだけで目頭が熱くなってくる。
 次の日、兵たちは敵陣への夜襲に向かった。足をケガして歩くのが困難な山田は宿営地に残り、食事の支度をすることに。だが、仲間は戻らず、とうとう朝を迎えた。分隊は、全滅したのだった。
 10数年が経ち、生き残った山田は日本に戻り、元の定食屋で働いていた。そこに現れたのは……。

 終戦直後の沖縄で、アメリカ兵と日本人捕虜を隔てていた言葉の壁を、元中華料理人の捕虜が作ったチャーハンが取り除く「収容所の焼き飯」というエピソードもいい。おいしいものは言語や文化を超えて人の心を強く結びつけるのだ。
 私の父親が経験したシベリア抑留の話も出てくる。ストーリーは、帝国ホテルの料理長を26年も務め、日本でのフランス料理の発展に貢献したムッシュ村上こと、村上信夫の実体験が元になっている。囚われていたシベリアの収容所で、瀕死の日本人捕虜のために、最後の料理をつくるようにロシア兵から言われた村上。捕虜が苦しい息の下から言ったのは「一度でいいから”パイナップル”という食べ物を…食べてみたかった」。極寒のシベリアに南国のパイナップルがあるはずはない。そこで、村上は手元にある材料を使って「パイナップル」をつくりはじめる。

 どのエピソードを読んでも、食べることの大切さが伝わり、極限状態でのドラマに心が震える。飢えなければならない戦争なんてぜったいに嫌だ、という気持ちになる。
 晩年の父親は、十二指腸が腸の動脈に挟まれて、食べたものが胃から腸に行かない十二指腸狭窄という病気で入院した。食事をとることはできなくなり、点滴でようやく栄養を補給という状態。たまに、アイスクリームを少量口にすると、「うまい」と喜び、「食べられないのはやっぱり辛いなあ」と言った。
 シベリアでの辛い日を思い出していたのかもしれない。仏壇の前の飯盒を見ながらそんなことをぼんやりと考えた。

中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2018年1月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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