『百年泥』
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【聞きたい。】石井遊佳さん 『百年泥』 流れゆく世界を言葉の力で描く
[文] 産経新聞社
「あれよあれよという間に身辺が激変して、忙しさの渦に巻き込まれています」。デビュー小説となる本作が1月に芥川賞を射止め、暮らしているインドから数カ月ぶりに帰国した。
物語の主人公は多重債務を抱え、インドのIT企業で日本語教師として働くことになった女性。現地は100年に1度の大洪水に見舞われ、街に川底にあった泥が流出する。腐臭を放つ泥の山から顔を出す雑多な品々に導かれるように、自らの記憶やさまざまな人々の人生を追体験する主人公の様子が、現実と幻想を交えてつづられていく。
「大洪水も実際に経験し、3日間家から出られなかった。体験したこと、思ったことすべてが詰まった小説。天に助けられたところがある」。自らも3年前からベンガル湾をのぞむチェンナイのIT企業で現地社員に日本語を教える。400万都市の混沌(こんとん)、日本語を学ぶ社員とのかみ合わないユーモラスな会話…。魅力的な挿話と、大学院時代に学んだという仏教的な思想が混ざり合う物語には、生者も死者もすべて包み込むおおらかさが漂う。
「いろんな人とかかわり合う中でこの私は形づくられる。瞬間瞬間に姿を変えていく『流れ』として仮に私たちの前に置かれているのがこの世界。そういうあり方を、言葉の力を最大限に発揮して描きたい」
作家を志し、菓子職人やスナックホステス、草津の温泉旅館の仲居さんなどの職を転々とした雌伏の時期が長かった。それでも10代で兆した表現欲は揺るがず小説を100作近く書いてきた。
「書くことは私の業。この人生で駄目なら、化け変わってでも作家になりたかった」。芥川賞を手にし、専業作家となる決意を固めた。「読む片時はこの世の憂いも忘れる。読んだ人が驚いて夢中になれるそんな荒唐無稽で“けったいな”小説を書きたい」(新潮社・1200円+税)
(海老沢類)
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【プロフィル】石井遊佳
〈いしい・ゆうか〉昭和38年、大阪府枚方市生まれ。東京大大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。本作で昨年、新潮新人賞を受けデビュー、今年1月に第158回芥川賞。