狩撫麻礼が別名義で描くハードボイルドサスペンスの大傑作『オールド・ボーイ』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第80回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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10年の軟禁から自由になった男の孤独な戦い
『オールド・ボーイ』原作:土屋 ガロン 作画:嶺岸 信明

 1月7日、マンガ原作者の狩撫麻礼が亡くなった。享年70。
 狩撫とのコンビで『青の戦士』や『ルードボーイ』などを描いたマンガ家の谷口ジローが昨年2月に亡くなったばかりで、「続けてまたか」と思うとショックも大きかった。谷口のように直接取材をした経験があるわけではないものの、出版社のパーティなどでときおり狩撫の姿は見かけていた。原作の作風と同じく、ストイックで男らしく、年齢を感じさせないオーラを発していただけに、70歳での死ということ自体、にわかには信じられなかった。そういえば、谷口の享年も69。ふたりは同年代でもあったのか。

 狩撫麻礼は1947年生まれの団塊の世代。高校卒業後、さまざまな仕事を経験した後、30歳で小池一夫の劇画村塾に入門。デビューは34歳の時だった。遅咲きながら、たちまち頭角を現して、『プレイコミック』や『ビッグコミックスピリッツ』『週刊漫画アクション』『週刊漫画ゴラク』などで人気原作者として活躍。90年代後半からは、狩撫麻礼名義での執筆をやめて、作品ごとにペンネームを変えるスタイルに。読者に固定したイメージを与えたくないというのが理由だったという。
 今回紹介するのは、土屋ガロン名義の作品『ルーズ戦記 オールド・ボーイ』である。

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 作画は嶺岸信明で、1996年から98年にかけて『週刊漫画アクション』に連載。2007年にアメリカで最も権威のあるマンガ賞「アイズナー賞」の第1回最優秀日本作品部門を受賞。04年には、韓国の映画監督パク・チャヌクによって映画化されカンヌ映画祭審査員特別グランプリに。13年にはスパイク・リー監督でハリウッド版のリメイクもつくられた。

 物語は東京都内某所の雑居ビルから始まる。暴力団のダミー会社が1970年代に建てた12階建てのビルには、地下駐車場にある社長専用エレベーターだけが通じている特別なフロアがあった。7階と8階の間、7.5階にあるのは私設の刑務所。暴力団は、依頼人にとって都合の悪い人間を殺すのではなく、この私設刑務所に軟禁するという裏ビジネスで稼いでいたのだ。軟禁された者と外との接点はテレビが1台だけ。食事はビルの近くの中華料理屋からの出前が1日2食。
 その軟禁施設で10年間閉じ込められていた男が釈放された。長い孤独の中で自分の名前や過去も忘れてしまった男が覚えているのは、新宿の盛り場ではしご酒をしているうちに記憶を失ったということ。
 誰が何のために自分を陥れたのか? 自由になった男はそれを知るために動き始める。

 このマンガのストーリー紹介をするのはとても難しい。男が何者であるのか、軟禁された理由は何か、という謎の部分は1話ごとに薄い皮膜を剥ぐように解き明かされていき、そのひとつひとつがドラマの核心に向かってつながっているからだ。
 ビルの中に秘密のフロアがあり、そこに10年も閉じ込められていた男がいて、自由になる日のためにテレビで情報を仕入れながら黙々と筋肉を鍛えている、といった設定はある意味ではファンタジーだろう。
 しかし、男が唯一の手がかりをもとに軟禁されていたビルの場所を探り出し、自分を軟禁させた謎の人物に近づき、過去に何があったのかにたどり着いていくまでのプロセスを読むのはスリリングで、読み始めるともう目が離せなくなる。このマンガは、そのあたりの語り口を楽しむマンガなのだ。

 男を影のように監視する尾行者。尾行者のクライアント。男の過去につながる人物。謎の美女。シャバに戻ったばかりの夜に出会い、男と行動を共にすることになるエリという少女。男の孤独な戦いに関わってくるすべての人物がそれぞれに存在感を持っていて、無駄というものがない。
 舞台となる東京の盛り場――新宿も渋谷、池袋も圧倒的なリアリティを持っている。新宿歌舞伎町の夜と昼の対比など、描かれた90年代後半、バブル経済崩壊後の猥雑とした雰囲気がそのまま伝わって来るようだ。

 それは、嶺岸の画力はもちろんだが、原作者・土屋の舞台づくりのうまさが大きく関わっているのではないか、と思う。そして、できることなら外国人の監督ではなく、日本人の監督の手で映画化してもらえたらなあ、という気がしてくる。この空気感を本気で映像化するなら、近代都市の中に昭和の街並みが混沌として残る東京でなければいけない。
 ラストシーンには衝撃的などんでん返しも待っていて、読み応えも満点。
 これだけの力を持った原作者がたった70歳で死んでしまうなんて、神様というものが本当に存在するのだとしたら、あまりにも無慈悲なことをするものだ。

中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2018年2月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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