人気作家が教える!──ネット情報は誰か浴びせているのではない。あなたがシャワーのコックを捻った結果である。

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「集中力信仰=1点に集中することこそがよくて、気が散るのは悪いことだという先入観」を喝破して話題となった人気作家・森博嗣氏の『集中力はいらない』(SB新書)。本稿では、その中から、そもそも情報過多時代といわれるネット時代の、情報との接し方を紹介する。インターネット普及前からメールを使い、iPhone登場時もまっさきに購入したという森博嗣氏のネット情報への接し方は意外なものだった!? 気が散って自分の時間に集中できない、いう人こそ読んでほしい。

何故、情報が多いと感じるか

 この頃、どこでも枕詞のように言われているのは、「情報過多の時代にあって、どのように情報を取捨選択し、また、自分の仕事に集中するためには、どのように気持ちを切り換えていけば良いのか…」といった感じのものだろう。

 たしかに、情報過多ではあると思うし、また、いちいちそれらを気にしていたら、単純に時間を取られ、気が散ってしまう、と大勢の人たちが感じているだろうとも容易に想像できる。

 しかし、その実情はどうなのか、と周囲を観察してみると、この「情報過多」というのは、案外つまらない情報が大きな割合を占めていることに気づく。たとえば、TVの番組でやっていたこととか、芸能界の誰某が何をしたとか、あるいは、身近の友人たちとのおしゃべりであったりとか。

 こういった雑多な情報も、もちろん「押し寄せる情報」にはちがいない。かつては、家に帰ってTVや週刊誌を見て初めて知ることだったし、友達と会って話したりした機会にだけ入力されるものだったわけだが、それが、今はいつでもどこでもスマホを見れば飛び込んでくる。これは、情報過多というよりも、情報の端末が身近になっただけのことで、情報そのものが増えたとは一概にいえないような気もする。

 もちろん、一定時間内に、より多くの情報を取り入れることは可能になった。これは、情報端末が大衆の身近なアイテムになる以前からのことで、一つのネットワークに世界中が参加し、情報の共有システムが発展したからだ。情報を供給する側も爆発的に増え、あらゆる分野の幅広いジャンルの情報が、同一の端末からアクセスできる仕組みが出来上がったからだ。

 僕自身が、インターネットに関して「これは凄いことになったな」と実感したのは二十数年まえのことであり、もう今は昔といえる。つい数年まえから、スマホが普及して、誰でもこのエリアへ手軽にアクセスすることが可能になったわけだが、ここに至って、雑多な情報(多くは宣伝)が雪崩のように押し寄せたため、むしろ情報の平均的な価値は薄まっているし、精度も低下したといえるだろう。はたして、個人から見たとき、有益な情報が増加しているのか怪しくなるほどである。

人々は、この情報の波に呑み込まれ、溺れかかっているのだろうか?

 身も蓋もない素直な感想を書くが、スマホをいつもチェックするようにと法律で定められたわけではない。つまり、これは「強制」ではない。情報にアクセスするのは、あくまでも個人の自由意思によるものだからだ。それなのに、何故かみんなが、不思議な平等意識に支配されているせいか、あるいは単純な仲間意識の発現なのか、疎外感を恐れるあまり、「せずにはいられない」状況にどっぷりと浸かっている。「強制」ではないものの、立派な「支配」といえる。人々は、ほぼネットの支配下にある。これが、現在の「情報化社会」だ(この言葉自体がだいぶ錆ついた感があるが)。

 気が散ってしまい大事なことに集中できないほど、大量の情報がシャワーのようにあなたに降りかかっている。たしかに、現在の社会は、そんなシャワー室の中にいるようなものかもしれない。水圧のごとく、情報の圧力みたいなものが感じられるだろう。ただ、誰かがあなたに浴びせているのではなく、あなたがシャワーのコックを捻った結果なのだ。まず、ここを間違えないでほしい。

SBCrOnline
2018年4月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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