スピードと科学が溢れたリアルな忍者マンガ『ワタリ』白土三平|中野晴行の「まんがのソムリエ」第88回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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伊賀の下忍を縛る「死の掟」の謎を追う
『ワタリ』白土三平

 年下の友人でフリー編集者のAさんが千葉県外房地方のいすみ市に引っ越したのは去年の夏だった。いすみ市は海沿いの漁業と稲作の町で、Aさんは船大工の人が作業場兼で住んでいたという広い古民家を借りてひとりで住み始めた。「田舎は家も広いし、食べ物もおいしいし、物価も安くて快適ですよ」というAさんの言葉を真に受けたのが、私が田舎に引っ越すきっかけにもなった。
 Aさんにとっていすみ市は初めての土地で、それまで住んだことのなかった外房を選んだ理由のひとつは、付き合いの長いマンガ家の白土三平、つげ義春と縁の深い土地だから、ということのようだ。いすみ市に隣接する大多喜町は、かつて白土やつげが定宿にしていた「旅館寿恵比楼」があった土地。旅館は廃業しているが、建物だけは今でも残っている。また、白土は現在も外房にアトリエを構えていて、Aさんはときどきは港の市場で買い込んだ食材と酒を自転車に積んで、先生のアトリエに遊びにいくらしい。

 今回紹介する『ワタリ』は、つげを伴って「旅館寿恵比楼」に泊まり込んだ白土が、構想を練り、コマ割りをつくったとされるマンガ史的にも重要な作品だ。全3部構成で、『週刊少年マガジン』に連載されたのは、1966年から67年まで。66年には東映が金子吉延主演で劇場映画化している。

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 舞台になるのは戦国時代。天正年間(1573~95)の伊賀の里である。伊賀の里は、百地(ももち)三太夫を主領とする「百地党」と藤林長門を主領とする「藤林党」に分かれて権力争いが続いていた。
 忍者の社会は厳しい階級社会で、大きく上忍(主領)、中忍(大頭)、下忍(小頭)とわけられ、その下にどれいとして扱われる下人がいた。下忍は使い捨ての駒のように扱われ、「死の掟」と呼ばれる謎の決まりに縛られていた。どのようなものかもわからない掟に触れた瞬間、粛清されることに怯えながら下忍たちは生きていたのだった。
 ある日、百地砦のそばに傷を負った老人と少年が現れる。戦乱で家も土地も失って着の身着のままで逃れていたというふたりは、四貫目(しかんめ)とワタリと名乗り、主領の下人として働くことになる。四貫目とワタリは、甲賀にも伊賀にも属さない忍者集団「ワタリ一族」の人間だった。ふたりは、伊賀の内情を探るために里に潜入したのだった。
 そんな中、正体不明の「死の掟」によって下忍たちは次々に葬られていた。ついに、「死の掟」に反発した下忍たちは、掟の正体を暴き、主領の圧政を倒すため、密かに「赤目党」を結成するが……。

 一見すると、白土の代表作である『忍者武芸帳 影丸伝』や『カムイ伝』同様に社会の下層を生きる人びとの苦しみと階級闘争を描いた作品のようにも見えるが、『ワタリ』の場合は、階級闘争は主要な部分ではない。
 舞台が伊賀の里とされていることからもわかるように、メインになるのは、伊賀の「死の掟」の謎を探るミステリーの要素であり、忍者同士がお互いの技を競い合うアクションだ。
 ワタリの武器は、刀や手裏剣ではなく、背中に背負った大きな斧と「カブトワリ」と呼ばれる鉛のつぶて。斧を使って大きく飛び上がり、相手の死角からつぶてを飛ばす「無角」という必殺技を使う。
 とにかくコマ運びがスピーディでかっこいい。しかも、随所に技や武器について科学的に説明するコマが入っていて、男の子たちは夢中になった。ピンホールカメラの原理を応用した「オボロ影の術」の解説などには、小学生だった私もはたと膝を打ったものだった。
 この手法は、月刊誌『少年』に連載された『サスケ』などにも使われていて、『サスケ』や『ワタリ』を読んで、技を実践しようとして大失敗した、という思い出は、いま60歳以上の男性なら必ずあるはずだ。実際にできそうな気になるほど科学的なリアリティに富んでいたのだ。

 登場人物もとても魅力的だ。ワタリの親友になる下忍のカズラ。カズラの親友の小次郎……。友情という少年マンガの基本がしっかり生きている。
 白土マンガは女性陣も素晴らしい。カズラの姉・ツユキ、藤林の娘・アテカ……。彼女たちの悲劇的な運命もまた読者を酔わせる。
 敵役の伊賀崎六人衆をはじめとする忍者たちもかっこいいし、謎に満ちた百地の大頭・音羽の城戸の存在はストーリー全体を締める。第2部には強大な敵キャラとして「0の忍者」が登場し、第3部ではワタリ一族そのものの危機に関わるストーリーが描かる。自由に生きているはずのワタリ一族を支配しようとする忍者の登場で3部それぞれが有機的なつながりを見せるように構成されていて、読み応えは満点。白土の全作品中でもとくに完成度の高い長編になっている。これがデジタルで読める時代になったとは驚きだ。

中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2018年4月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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