『京都学派』
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京都学派 菅原潤 著
[レビュアー] 大澤聡
◆戦時期にどう躓いたのか
「なぜいま京都学派か」という問いよりも、「京都学派とはなにか」の方がいまでは先に立つだろう。後者がわかれば前者も理解できるはず。
一九三二年に発表された戸坂潤の論説「京都学派の哲学」がこの用語を使った最初といわれる。西田幾多郎(きたろう)は西洋からの輸入ではない独自の哲学体系を構築した。それを田辺元(はじめ)が継承し、その周囲に学派が形成されつつあると戸坂はいう。そして、最有力の後継者として三木清の名をあげる。
実際には、三木はすでに東京に出ており、活動領域は哲学に限らずどんどん拡張しはじめていた。京都では数年後、三木より年少の西谷啓治(にしたにけいじ)や高山(こうやま)岩男らが頭角を現し、西田-田辺の後継につく。「京都学派」はこちらを指すようになる。彼らが一九四〇年代に展開した議論が戦争に協力的だったとして戦後は糾弾された。
さて、本書はその誕生から盛衰、行方までカバーした一冊。これまでも同種の本は少なからず存在した。が、多くは人的な交流に焦点をあてた群像劇か、もしくは個々の哲学者の思想内容に関心を絞った思想家論のいずれかだった。本書の画期は二系統をバランスよく合流させ、しかも入門レベルから説きおこしているところにある。
ヘーゲルの弁証法を乗り越えていこうとする軌跡として、各者の論理とその影響関係を時系列順に整理したその延長に、戦時期の発言もきちんと位置づける。読みもせずに「戦争協力」のレッテル貼りで済ませてきた部分の論理をいちど正面から検討してみる。そうすることで、どこでどう躓(つまず)いたのかが精査される。同じ轍(てつ)を私たちが踏まないためにも不可欠の作業だ。
ただし、西谷や高山を救おうとするあまり“抵抗の知識人”とされた三木への評価は辛い。時局便乗の点では同じじゃないかというわけだ。ここには個人的な異論もある。けれど、戦後の評価枠組みを解除して、分析がテキスト自体へとむかうことを歓迎したい。
(講談社現代新書・972円)
<すがわら・じゅん> 1963年生まれ。日本大教授。著書『弁証法とイロニー』など。
◆もう1冊
大澤聡編『三木清 教養論集』(講談社文芸文庫)。教養の重要性を説いた哲学者の神髄に読書論、教養論、知性論の三部構成で迫る。