『バッグをザックに持ち替えて』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
バッグをザックに持ち替えて 唯川恵 著
[レビュアー] 市毛良枝(俳優)
◆「登ってみたい」背中そっと押す
登山家の故・田部井淳子(たべいじゅんこ)さんをモデルにした長編小説『淳子のてっぺん』(幻冬舎)を書いた著者が、自分の山をどう語るのかが楽しみで、ページをめくる。
いきなり愛犬との出合いがつづられる。きっかけは犬…。いったい、どういう山の話…?
そう、「山にはまりました」と胸を張りながら、実はなかなか山には行かない。「行きたい」でも「無理かも」。行けば楽しい。なのにぐすぐす言いたい自分もいる。
そんな思いが繰り返し交差し、ゆっくりと変わっていく著者の心境が描かれていく。どうも、あっという間に山岳乙女に変貌していくエッセーとは一味違うようだ。
やがて、一念発起、用具をそろえる。そうそう、そうでなければ。しかし、ぐずぐずしているようでいて、山への思いは意外にも熱い。いつの間にか、名だたる山に登っては、しっかりキャリアを重ね、とうとうエベレスト街道の五千メートル峰にまで向かう。
そこでも山屋(やまや)と呼ばれる人種とは一線を画し、山頂だけが山ではないと無理はしない。そんな程の良さもほほえましく、山に惹(ひ)かれて集う仲間とともにどんどん山にはまりこんでいく描写は、さすが、山好きの心をくすぐるに十分である。
山は夫婦間にも影響を与え、尊敬を込めて「リーダー」と呼ぶ夫の「山では最悪の事態を想定して、最良の準備をして行け」というアドバイスにも抜かりなく触れる。
重ねた経験には無駄がない。山はやっぱり素晴らしい。
気負うことなく山の楽しさを語る著者の言葉は、「山なんて…」と思い、「登ってみたいけど無理!」としりごみする、山を知らない人たちの背中もそっと押す。
ぐずぐずしたっていい、頂上めざさなくたっていい、いろんな登り方がある。あなたはあなたのやり方でと、すべての読者に普遍的な夢も与える。
(光文社・1296円)
<ゆいかわ・けい> 小説家。著書『肩ごしの恋人』『愛に似たもの』など。
◆もう1冊
植村直己著『青春を山に賭けて』(文春文庫)。冒険家になるまでの日々。