排除された者に声を与える台湾出身作家のデビュー作
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
人生をいったんリセットして、すべてをやり直したい。多くの人が、一度はそう思ったことがあるだろう。本書の主人公は、生まれ育った台湾を「半ば逃亡のような気持ちで」脱出し、現在は東京のオフィスビルで働く。名前さえも、迎梅(インメー)から紀恵(のりえ)と日本風に変え、「超ノリノリの趙紀恵」として振舞う。自分が同性愛者であることも、台湾で精神科に通院していたことも、職場では隠している。
いわば複数の自己を使い分けることで、彼女は人生の息苦しさを回避する。しかしこの方策でも解消できないのが、宿命のように背負わされた孤独である。小学校で同級だった少女の死や、高校時代の終わりに経験した悲惨な「災難」により、彼女は精神的な孤立を深める。いや、他者との関わりを断つことで、彼女は自分を護るのだ。
東京で出会った同性の恋人に対し、この孤独を理解してもらおうと、ついに彼女は「災難」のことを告白するが、「メンヘラ」と罵倒され見捨てられる。セクシュアル・マイノリティーの「同志」も、彼女の孤独には届かない。彼女の方も、周囲の同情を素直に受け容れられず、しばしば他人との関係を壊してしまう。
そんな彼女を絶望から救うのが文学である。小学校の卒業後、死んだ少女を悼む詩を書いて精神の安定を恢復し、高校では文学の趣味が一致する友人と恋に落ちる。同性への愛を描いた台湾作家、邱妙津を耽読し、邱の作品を介して村上春樹などの日本文学にも興味を抱く。
ただし本書は、文学の治癒力に全幅の信頼を置いてはいない。件の「災難」のあと、彼女は創作ができなくなるし、邱妙津が自殺したのも作中にあるとおりだ。しかし、たとえ救済が約束されていなくとも、社会から排除された者に文学が声を与えることに、本書は気づかせてくれる。台湾、中国、日本の文学への教養と、書くことの必然性を感じさせる作者の今後に期待したい。群像新人文学賞優秀作。