遊廓観光――ダークツーリズムのすすめ 関根虎洸×中山智喜×渡辺豪トークイベント

対談・鼎談

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遊廓に泊まる

『遊廓に泊まる』

著者
関根虎洸 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784106022845
発売日
2018/07/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

【『遊廓に泊まる』刊行記念トークイベント】遊廓観光――ダークツーリズムのすすめ

[文] 新潮社

日本地図から「遊廓」が消滅して60年。しかし、今なお現役の“泊まれる遊廓”がある!? 著者でカメラマンの関根虎洸さん、ともに取材を重ねてきた「実話ナックルズ」元編集長の中山智喜さん、遊廓専門の「カストリ出版」代表で遊廓家の渡辺豪さんという、今日本で最も遊廓に詳しい3人が揃って“夢の跡”へと案内する。本には載っていない、ここだけの秘密のエピソードも飛び出して……。

『遊廓に泊まる』刊行記念トークイベント
『遊廓に泊まる』刊行記念トークイベント

「精進落とし」にショック!

中山 本日は私が司会を務めさせていただきます。まず、書名を見て驚いた方もいるかと思います。遊廓って泊まれるの? そもそももう遊廓はないのでは? 関根さん、遊廓って泊まれるんですか?

関根 泊まれるんです。厳密に言うと元遊廓の「転業旅館」のことで、この本では、遊廓時代の建築の独特の意匠や風情を楽しめて、意外に料金もリーズナブルな14の宿を紹介しました。

中山 このイベントでは「遊廓観光」と名付けたとおり、それぞれの旅館やその町の魅力などを話していただければと思います。今、転業旅館という言葉が出ましたが、渡辺さん、最初に遊廓の歴史的なことを教えていただけますか?

渡辺 ざっと駆け足でお話しますと――いわゆる売春業は古代から自然発生しているので、起源がいつなのかは不明ですが、制度としての「遊廓」は、明治33年発布の法令「娼妓取締規則」からになります。遊廓とは、字のとおり、郭(くるわ)に囲みを作って、一か所に囲い込んだ場所。江戸時代にはたとえば港町や宿場町に飯盛り旅籠のようなものができて、いろいろなかたちのものが散在、混在していたわけですが、この法令で分離統合され、囲い込まれた遊廓として発展した。

中山 吉原みたいな、周りに塀の囲いがあって、というイメージですね。

渡辺 そうですね。それから時代が下って昭和33年、売春防止法が施行されて公娼制度がなくなり、元遊廓の経営者たちはいろんな職種に鞍替えします。部屋数が多かったというのが一番の理由かと思われますが、最多が旅館業でした。それが「転業旅館」です。それから60年経って、もうほとんどなくなってきたのが今、ということです。

中山 関根さんがそうした転業旅館を取材するようになったきっかけは?

関根 2014年に旧満州の大連へ行ったとき、日本統治時代につくられた2か所の遊廓跡も訪ねたんです。一つは、今では繁華街の小崗子に残る遊廓跡。高層ビルがどんどん建設される中で、このエリアだけは取り残されたように昔の煉瓦造りの建物が並んでいる。当時は中国人向けの遊廓で、今は地方からの出稼ぎ労働者が泊まっているような宿になっていました。もう一つは、中心部から少し離れた場所にある逢坂町遊廓跡。こちらは日本人が働き、日本人が行く遊廓だったそうです。最盛期には約70軒の遊廓に900人ほどのいわゆる「からゆきさん」が働いていた。僕はこの時からからゆきさんについて調べ始めたのですが、ある意味、かなりショックだったんです。植民地に遊廓まで作ってしまう、ということにすごく驚いた。
 昭和5年に刊行された『全国遊廓案内』にこの2つの遊廓が載っていて、僕は国会図書館でコピーをとって大連に持参したのですが、ちょうどそのころ渡辺さんがカストリ出版を立ち上げて、この古い本を復刻された。帰国してそれを知って、買おうと思ったら売り切れていて。いつ入りますか? と連絡を入れたのが渡辺さんとの出会いで、それからいろいろ教えていただくようになったんです。

渡辺 最初連絡いただいた時は、すごいハードコアな人だな、と思いました。

関根 転業旅館の取材を始めたきっかけは、もう一つあるんです。それは伊勢で知ったある言葉なんですが……。伊勢神宮の外宮と内宮をつなぐ参宮街道にかつて古市遊廓がありました。ここに唯一残る現役の宿、麻吉旅館は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも出てくる築200年以上の建物。坂道に沿って建つ懸崖造りという木造5階建てで、最上階の大広間では多くの芸妓が伊勢音頭を踊って客たちをもてなしたそうです。眺めも良いですし、地元の食材を使ったお料理も絶品ですよ。さて、江戸時代にはお伊勢参りが大流行して、全国から多くの人が歩いて伊勢へとやってきたのですが、お参りをした後に、男衆は遊廓で遊ぶんです。そしてそれを「精進落とし」と呼んだという。そのなんとも都合のいい言い方に、ぐっと刺さってしまいました。

中山 精進落としって、普通はお弔いの後にする、あれですよね。

関根 はい。伊勢に遊廓があったというのも僕には驚きだったのですが、この言葉がすごく印象に残ってしまって。ちなみに、遊女側も、参拝を済ませていない男はお断りしたらしいです。ほんとに精進落としだと大義を作ったわけですね。
 それからもう一つ。旧東海道の赤坂宿に大橋屋という創業360年の旅籠がありまして、残念なことに3年前に宿をやめて今は泊まれませんが、ここは「飯盛り旅籠」、つまり「飯盛り女」のいる旅籠だったと聞きました。そんな言葉、初めて聞いたし、強烈で驚きました。

中山 飯盛り女とは、いわゆるそういうサービスもする女性ってことですか?

関根 そうですね。ごはんを用意するだけでなくて、夜のお世話もする女性という意味です。広重の『東海道五十三次』にも大橋屋の飯盛り女が描かれていますし、近くの二川宿にある資料館では人形で当時の様子を再現しています。そんなショッキングな言葉もきっかけとなって、調べていくうちに、転業旅館がまだ全国に残っているらしいとわかってきて、中山さんと一緒に取材を始めたわけです。

関根虎洸
関根虎洸

今ならぎりぎり間に合う

関根 今日は一つ、取材はできたのに、事情があって本には収録できなかった宿、長岡市の今重旅館を紹介します。住宅街の中にポツンと建っているような、外観はそう変わった感じではない宿なのですが、よく見ると凝った造りをしているのがわかります。どの宿にも共通することが多いのですが、ここにも急な階段があって、部屋もとても小綺麗にしている。昨年いっぱいでご主人が引退して旅館をやめてしまわれたので掲載はやめてほしいとご連絡をいただき、残念だけど掲載を見合わせました。

中山 ほんとに残念でした。

関根 ちょうど昨日(8月2日)から始まった長岡の花火大会は、全国三大花火大会の一つと言われますが、もともとは遊廓業者がお金を出し合って始めたそうなんです。このことをぜひ多くの人に知ってほしいと思いまして、本文にも書いていたのですが……。

中山 ご主人が高齢という意味では、今重旅館に限らず、この本に載っている宿は、いつ営業を終えてもおかしくない、ということでしょうか。

関根 そうですね。僕たちが取材している3年の間に廃業してしまった宿もありましたし。今後10年20年単位で続くとは、ちょっと考えにくいところが多いかな。

中山 旅館は維持管理も大変だと思います。それなのに、どこの旅館も共通して料金がほんとに安いです。一泊3000円というのもありました。

関根 ある旅館なんか、「いくらですか?」と訊いたら、「いくらがいいですか?」って訊き返されました(笑)。

渡辺 これから長く存続していくのは難しいと思います。後継者不足と言えばそれまでですが、遊廓の設置経緯と関係している部分が大きいかと。やっぱり遊廓は、町の中心地からはちょっと離れた場所に設置されていたわけですから。

中山 いわゆる観光には不向きな場所にある?

渡辺 はい。繁華街からは隔離されているように離れているんですね。ですので、今インバウンドとかで外国人客が増えているとはいっても、足の便は悪いですし、そうした部分が逆風になっているのかな、と思うんです。ゆえに少なくなってきているわけですが、逆に、中心部から離れているからこそ、再開発の波にのまれずに、こうして60年もぎりぎり残ってきたとも言える。今こそ行くべき場所になっているんだと思います。

中山 たしかに。広島の一楽旅館は繁華街にありましたが、そのほかは町から外れたところにありました。逆に、景色がいい、川や港が近くにある、朝ごはんを市場で食べられるなど、楽しいポイントもありました。

新潮社 波
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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