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- 作家との遭遇 全作家論
- 価格:1,980円(税込)
ファン必読、著者初の作家論集『作家との遭遇 全作家論』が11月30日に発売されました。山本周五郎、高峰秀子、小林秀雄、向田邦子、檀一雄、カポーティ――。23名との「出会い」を通じて沢木耕太郎の世界にも酔いしれる贅沢な一冊には、22歳の時の卒論「アルベール・カミュの世界」も初収録されています。
その中から、色川武大について論じた「無頼の背中」を限定特別公開します。
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私は色川武大を『怪しい来客簿』で初めて知った。読んで、驚いた。世の中には、ただこちらが知らないだけで、怖ろしい人がいるものなのだな、と思った。『怪しい来客簿』は、久し振りに読む、凄味のある作品だった。その凄味は、作品に登場してくる人物の凄味である以上に、全編に見え隠れする「私」という存在の持っている凄味であるように思えた。たとえば、自分が紹介した地下の賭場で、友人が破滅を望んでいるかのように張り急ぎをしているのを知り、その賭場に電話をする。
《「もうそのへんを限度で貸さないでください―」と私はいった。「堅気の人だし、そのくらいでぶち折れはしないけど、細く長く遊ばせて欲しいンだ。いい客なんだからね」》
賭場にこのような電話をさりげなくかけられる存在だということにまず圧倒されてしまうが、しかも、友人に対してそのような配慮をする「私」は、自分が体をこわし、入院した先の医師に手術上のミスを犯されると、生死の境に連れていかれているのにもかかわらず、密かに「名医」と名づけている担当医に対してこんなふうに思ったりする。
《ただ一言、再手術、すっとそう吐きだせばいい。それがどうしても吐きだせない。そのために不手際が深まっていく。そこがなんとなく嬉しい。友人を得たような気になる。
とどのつまり、名医の誘導で大学病院の内科に行き、
「どうして、こんなになるまで放っておいたのだろう」
といわれたが私は驚かなかった。それでこそ私の名医である。仰々しくいえば、私は命を賭けて友人を得ようとしているかのようであった》
これが単なる強がりや粋がりでないことはここまで読んできた人にならすぐわかるようになっているのだ。
『怪しい来客簿』は、それぞれが独立した十七の短編から成っているが、その底に共通の音楽が流れていないわけではない。音楽というのが大袈裟ならば気配といってもいい。それはたとえるなら、後姿に漂っている苦笑のようなものだ。口元にではなく、背中に浮かんでいる苦笑である。
ここに登場してくる人々は、友人であれ親類であれ路傍の人であれ、すべて自分が生きてきた時代にどこかの場所ですれちがってきた人ばかりである。彼らは、奇矯であったり、偏頗であったり、屈託をうちに抱え込んでいたりするのだが、多くはその不器用さによって世の中とうまく折り合うことができず、滅びるようにして消えていく。色川武大には彼らに対する切実な同類意識があるのだが、それにもかかわらず、自分だけはどうにか世の中と折り合いをつけることで生き永らえ、いまこうしてこんな文章を書いているということに対する恥ずかしさがある。しかし同時に、自分に対するその苦そうな笑いの気配が、『怪しい来客簿』の語り口を独特なものにしていた。
だから、色川武大が『黒い布』で中央公論新人賞を受けてから、この『怪しい来客簿』を書き上げるまで、十数年間も沈黙していたということを知って意外な感じを持った。『怪しい来客簿』には、一朝一夕にできたとは思えない、確固たるスタイルがあったからだ。なぜ十数年も書かなかったのだろう。
《〝黒い布〟を発表してから十年ほど、いつも小説を書きたいと思っていながら私は何も書くことができなかった》
後に、自らの青春とからめて生家について描くことになる『生家へ』のあとがきを素直に受け止めれば、書かなかったのではなく書けなかったのだということになる。では、なぜ書けなかったのか。
色川武大が阿佐田哲也であるということは知っていた。知っていたといっても、阿佐田哲也の文章はほとんど読んでいなかったのだから、同一人物らしいという以上には何ひとつわかっていなかったに等しい。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を読んだのは、色川武大の面識を得るようになってからである。その頃ちょうど文庫版が出はじめたのだ。
『麻雀放浪記』の四冊は、文庫版の解説やカバーに記されている何人もの読み巧者の弁の通り、素晴らしく面白い読物だった。まず刊行された青春編と風雲編をまたたく間に読み終えてしまった私は、続刊とされている激闘編と番外編の出るのが待ち遠しかった。文庫が刊行されるのを心待ちにするなどということは初めての経験だった。しかし、全四冊を子供の頃に愛読した剣豪小説と同じように夢中になって読んだあとで、微妙な違和感を覚えた。作品そのものにではなく、実際に接したことのある色川武大の風貌と、この『麻雀放浪記』の持っている雰囲気との間には、僅かだが重要な差異があるような気がしたのだ。鋭く激しく、しかし鈍くも重くもあるという彼の風貌に比べ、この小説はあまりにも明るく乾きすぎている。言いすぎを覚悟でいってしまえば、どこか軽いのだ。とりわけ、主人公の「坊や哲」には、明瞭な輪郭と重量を兼ね備えている他の登場人物と異なる、奇妙な軽さがある。
色川武大と初めて会った時、瞬間的に感じたのは、ああ、この人は修羅場をくぐってきた人だな、ということであった。たとえその修羅の場が喧嘩であれ博奕であれ女出入りであれ、進むも地獄、退くも地獄という絶望的な状況の中で、髪が一晩で白くなるような恐怖を覚えながらどうにか切り抜けてきた、という経験を繰り返してきた人のように思えたのだ。もちろん、『麻雀放浪記』にも壮絶な修羅場が出てこないわけではない。しかし、そこではたとえ血の雨が降ってもサラサラと流れていってしまい、床にねっとりとこびりつくことがないのではないかと思わせるようなところがある。透明で、軽快ですらあるのだ。私にはそれが不思議でならなかった。色川武大が実際にかいくぐってきた修羅場がそのようなものだったとはどうしても思えなかったからだ。
もっとも、その理由を『麻雀放浪記』がエンターテインメントの作品だったからということで説明する方法もある。スピード感がなければ読んでもらえないから、と。それで納得できないこともないが、しかし私には、色川武大の書く、いわゆる純文学的な作品と、阿佐田哲也の書く娯楽小説風の作品との間に、あまり大きなちがいを見出せないのだ。コインの裏と表、レコードのA面とB面ですらなく、縄のようにないまぜになってひとつのものとなっている。たとえば、ここで取り上げる『新麻雀放浪記』にしても、同じ阿佐田哲也の『麻雀放浪記』の続編としてではなく、色川武大の『生家へ』につながるものだと考えられなくもないのである。
なぜ色川武大は色川武大として十数年ものあいだ書くことができなかったのか。その「書けない時代」に書いていた阿佐田哲也の麻雀小説に色川武大の風貌との落差があるのはどうしてか。―その二つは、私が色川武大を知るようになってからも、永く抱きつづけてきた疑問といってよかった。
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