無頼の背中 色川武大――沢木耕太郎『作家との遭遇 全作家論』試し読み

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 色川武大はなぜ書けなかったのか。その問いは同時に阿佐田哲也はなぜ書けたのかという問いを内包することになる。
 古川凱章によれば、『黒い布』以後の色川武大はさまざまな名前を用い、さまざまなジャンルの文章を書いていたというが、やがてそれは『麻雀放浪記』という傑作の誕生とともに阿佐田哲也の名ひとつに収斂されていく。
 彼はなぜ博奕小説、その代表作としての『麻雀放浪記』なら書けたのか。その答えは、少年だった彼がどうして博奕の世界にだけはすんなりと入っていけたのか、という理由と深く関わっている。
 吉行淳之介の『恐怖対談』シリーズには、色川武大との対談「赤いポチポチ変幻編」も収められているが、その中に吉行の言葉として「うずくまる」という表現が出てくる。自分の叔父が地面を活発に暴れながら学校からはみ出していくタイプだとすれば、色川は地面にどんよりうずくまることで学校からそれていくタイプだったのではないかと評している。確かに、少年時代に関する色川武大の記述を読むと、学校をサボっては浅草などをうろついているのにもかかわらず、なぜか常に地面にしゃがみ込んでいるという印象が強く残る。
 うずくまる少年の、いわゆる「劣等」への道は、自分の頭の形がいびつだという奇形意識から始まった、と色川武大は言う。人と頭の形がちがうという意識は、人並なことをするのが恥ずかしいという意識を生み、当り前の振るまい方がわからないというところまでいく。列を離れることを覚え、苦笑することを身につけ、ひとり遊びを好み、街をうろつくようになる。そして、ますます学校での「劣等」のレッテルは確固たるものになっていく。
 このような少年が、転校を夢見るのは容易に想像がつくことだ。やはり『生家へ』の中に、転校をするのだという思いつきを口に出してしまい、級友たちが急にやさしくしはじめてくれたことであとにひけなくなり、本当に引っ越してくれないかと心から願った、という挿話が記されている。彼にとって、転校は常に潜在的な願望であったのだろう。どこでもいいから転校さえできれば、今までのレッテルをはがし、学校というもうひとつの社会の中で繁茂した「関係」を切り捨て、もう一度はじめからやり直せる。
 少年の色川武大にとって、博奕場に入っていくというのは、一種の転校だったのではあるまいか。そこでは学歴が問われるわけでもなく、これまでの成績や素行を明らかにする必要はない。場が立つ時に、博奕というものだけを通して人と関わり、その瞬間だけを全力をつくして生き切ればいい。博奕場は彼にとって理想的な学校だった。そこでだけは、彼は自分の振るまい方が簡単に理解できたのだ。
《ここには、勝者と敗者きり居なかった。この点は痛快なほど単純だった。私自身もそのどちらかの態度をふるまっていればよかった。私はここで弱者をなめることを覚え、強者からいたぶられることを当然と考えるようになった》(『麻雀放浪記』青春編)
 彼にとって博奕場は、自分はさほど「劣等」ではないのだという呟きを証明する場であり、一種の「社会的教養」を身につける場であり、「刹那」の昂揚と沈降に身を焼くことのできる場であり、なにより自分が自由になり、時には自分以上の自分になれる場であった。
 色川武大が阿佐田哲也として博奕小説なら書けた理由は明らかなように思われる。そこに出入りしている彼は、家庭や学校といった日常的な人間の「関係」と切り離された、ある意味で虚構化された存在といえるものだった。場合によっては自ら意志して自身を虚構化していったかもしれない。彼の麻雀小説は、そのような虚構としての自分をモデルにすればよかった。その道筋を辿ればよかった。「自分自身から遠ざかろう」としていた彼が、博奕場における自分なら書けたのは、それが「関係」を捨象した、かりそめの空間での一瞬、一瞬を書けばよかったからだ。私が感じた『麻雀放浪記』における「坊や哲」の軽さとは、彼が最も大事な「関係」を捨象することではじめて存在しえている、ということによって生じたものだったかもしれない。

新潮社
2018年12月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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