必死の詐欺師 井上ひさし――沢木耕太郎『作家との遭遇 全作家論』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

  3

 さて、かりに井上さんの第二の天職が詐欺師だとして、そのなかでもどんな種類の詐欺師がふさわしいだろうか。寸借サギ、取り込みサギ、籠抜けサギ、地面師、パクリ屋……。しかし、なによりはまっている役どころは赤サギ、つまり結婚サギのような気がする。井上さんが結婚詐欺師になれば稀代の名人になるのではあるまいか。私が出版社で井上さんに会って「やはり」と思ったのは、その勘に誤りがなさそうだったからなのである。
 他のサギと結婚サギに異なる点があるとしたら、結婚詐欺師にはとてつもない「マメさ」が要求されるということだろう。虚構を維持するための涙ぐましくもコマメな努力。井上さんは、この「マメさ」において他の人にひけをとるとは思えない。しかも、そしてこれが重要なことだが、かりに結婚サギが露見しても井上さんなら訴えられることもないように思えるのだ。野坂昭如なら訴えられても、井上さんなら被害者の方が自分に非があったのではないかと思ってしまいそうなのだ。あるいはその必死さに免じて許してしまう。露見しても訴えられなければ、それはもう詐欺師の中の名人というべき存在となる。恐らく、失敗しても失敗しても井上さんは結婚サギを繰り返すことができるはずである。あたかも井上さんの主人公たちが無限に失敗を繰り返せるように……。
 しかし、現在、井上ひさしは結婚詐欺師にふさわしいその存在と才能のすべてを文筆という業に傾けている。まずは全日本の婦女子にとって慶賀すべきことなのであろうが、いつなんどき、井上ひさしがこの第二の天職を真の天職として再発見しないともかぎらないのだ。その徴候がないわけではない。最新作『さそりたち』では、ついに職業的な詐欺師の集団の研究をするに到った。ここから結婚サギまでは、ほんの一歩しかない。
 もっとも、研究から実行までは五千万歩以上の距離があることも確かである。井上さんにそれを歩き通す気力と体力があった時、そこに一所懸命、必死の詐欺師が誕生することになる。
(一九七九年五月)

新潮社
2018年12月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/