ささやかな記憶から 吉行淳之介――沢木耕太郎『作家との遭遇 全作家論』試し読み

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ファン必読、著者初の作家論集『作家との遭遇 全作家論』が11月30日に発売されました。山本周五郎、高峰秀子、小林秀雄、向田邦子、檀一雄、カポーティ――。23名との「出会い」を通じて沢木耕太郎の世界にも酔いしれる贅沢な一冊には、22歳の時の卒論「アルベール・カミュの世界」も初収録されています。
その中から、吉行淳之介について論じた「ささやかな記憶から」を限定特別公開します。

  1

 吉行淳之介は私が親しく言葉を交わしたことのある数少ない小説家のひとりである。
 といっても、その多くは酒場で顔を合わせ、他愛ないおしゃべりをしたというにすぎない。しかし、どこかに「親しく言葉を交わした」という確かな感じが残っているのだ。
 顔を合わせるのはほとんどが銀座のはずれにある小さな酒場だったが、吉行淳之介はそこから定宿にしている銀座のホテルに帰っていくことがよくあった。たいていは何かの会合の流れだったためにハイヤーが用意されていたが、時折そうした車の用意のないことがあった。その酒場からホテルまでさしたる距離があるわけではなかった。もし普通の体力を持っていれば酔いざましの散歩にうってつけということになっただろう。だが、晩年に近くなってからは、その程度の距離を歩くのも億劫になっていたようだ。しかし、だからといって、そこからタクシーを拾ってホテルまで乗っていくなどということは、吉行淳之介の神経では到底できないことだった。いや、夜の銀座では、吉行淳之介でなくてもかなり勇気がいる行為だったかもしれない。あまりにも近すぎる。そこで、私も何度か、自分の帰りのタクシーに吉行淳之介を乗せ、途中でそのホテルに立ち寄って降ろす、という役目を引き受けることになった。
 そのようなある時、道路が混んでいて、なかなか目的のホテルに着かないことがあった。前方に顔を向けたまま続けていた会話が途切れ、しばらくして、吉行淳之介が不意に私の年齢を訊ねてきた。
「沢木さんはいくつになった?」
 私は三十代の後半に入っていた。私が自分の年齢を告げると、軽く頷く気配がして、吉行淳之介はこう言った。
「いまが一番いいだろう」
 私は一瞬、答えに詰まった。
 何が一番いいのか。だが他でもない吉行淳之介が言っているのだ。それはきっと「女」に違いない。その年齢の頃というのは「女」に関して最も充実していないか。そう言っていると解するべきなのだろう。私には取り立てて「一番いい」という実感はなかったが、しかし、その時の吉行淳之介の問い掛けには、「いいえ、別に」と答えるのをためらわせるものがあった。それは私に向かっての問い掛けであると同時に、幾分かは自分自身への語り掛けという要素も含んでいたように思えたからだ。
「……ええ」
 私の答えは歯切れの悪いものだったかもしれない。吉行淳之介はその歯切れの悪さを年長者への一種の遠慮と好意的に受け取ってくれたらしく、また軽く頷く気配があって、言った。
「そうなんだよなあ」
 そこには、男というのは三十代の後半が一番いい時代なのだ、といった一般論を語っているのではない、自身の過去に向けての詠嘆の響きが微かではあったが感じられた。もちろん、どこかに、笑いを含んだような、冗談めかした調子がなくはなかったのだが。
 それから数年したある夜のことだ。まったく同じ状況が訪れ、私は吉行淳之介を銀座のはずれの酒場から定宿のホテルまで送ることになった。
 その時もなぜか道路が混雑し、なかなか目的のホテルに着かない。すると、また吉行淳之介が訊ねてきた。
「沢木さんはいくつになった?」
 その時、私は四十になっていた。私が年齢を言うと、吉行淳之介は前とまったく同じ言葉を口にした。
「いまが一番いいだろう」
 今度は滑らかに答えが口をついて出た。
「ええ」
 それは別にその時期が「一番いい」からではなく、吉行淳之介のその問い掛けが、以前よりさらに強く自身に向けられたもののように感じられたからだ。
 私が答えると、吉行淳之介は前の時とまったく同じ言葉を発した。
「そうなんだよなあ」
 私は吉行淳之介をホテルで降ろした後で不思議な気分に襲われた。
 数年を挟んでまったく同じことが繰り返された。同じ問い掛けに同じ感慨。しかし、それを吉行淳之介の「老耄」に起因するものとは思わなかった。深夜の銀座でほとんど動かないタクシーに年少の者と一緒に乗っている。その状況の何かが、同じ問い掛けを口にし、同じ感慨を催させるきっかけになったのだ。
 多分、その問い掛けにも感慨にも深い意味はない。そう思うのだが、吉行淳之介についての記憶となると、雑誌で対談をしたことより、また、誰も客のいないクラブで二人だけで飲んだことより、そのまったく同じことが繰り返された二度の経験の方が強く残っているのだ。
 いずれにしても、吉行淳之介は三十代後半から四十にかけてが「女」に関して「一番いい」時代だったらしい……。
 ところが、最近、吉行淳之介の作品を読み返すという作業を続けているうちに、もしかしたら私は勘違いをしていたのではないかと思うようになった。
 いまが一番いいだろう、という吉行淳之介の問い掛けを、ほとんど深く考えることもせずに「女」に関するものだと決めつけてしまった。しかし、それはもう少し広いものを指していたのではないかという気がしてきたのだ。「人生」という言葉はあまり吉行淳之介に似つかわしくないが、「女」も「仕事」もすべて含んだ上で、「一番いい」と言っていたのではなかったか。とりわけ『私の文学放浪』を再読、三読するうちに、その思いはますます強くなってきた。

新潮社
2018年12月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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