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それにしても、自身と自身の過去について語りながら、これほど見事な距離感によって全編が書き通された文章は他にそう多くはないはずだ。これに匹敵するものを挙げるとすれば、やはりその文学的な青春を描いた三島由紀夫の『私の遍歴時代』ということになるだろうか。奇しくも一年前に同じ新聞の同じ欄に連載された『私の遍歴時代』は、吉行淳之介も『私の文学放浪』を書くに際して強く意識したはずの作品である。
しかし、この二つの作品をよく比較してみると、自身との距離の取り方には微妙な違いがある。距離について言えば、吉行淳之介の方がさらに一歩離れているということになるだろうか。
ところが、意外なことに、一歩よけいに離れていながら、自身に執着する気配は吉行淳之介の方がはるかに濃い。それは自己肯定の度合いが三島由紀夫より強いからだと思われる。確かに、『私の文学放浪』には多くの負の挿話が記されているが、最終的には自身を全肯定しているという印象が残るのだ。
その理由は自負と世俗的評価が乖離していた時期の長さによっている。吉行淳之介といえども世俗的な評価に対して超然としていたわけではない。才能に対する強烈な自負と世俗的評価との間の乖離に苛立ちを覚えることもあっただろう。吉行淳之介は三島由紀夫ほど素早くその時期を駆け抜けるわけにいかなかったのだ。しかし、三十代の後半に入ると、その自負に世俗的評価が追いついてくるようになった。
まず、「娼婦の部屋」「寝台の舟」「鳥獣虫魚」などの作品によって短編の名手としての評価が定まった。次に『砂の上の植物群』がひとつの文学的事件になった。作品に対する評価は分かれたにしても、吉行淳之介には、かつて誰によっても書かれたことのない何かが書けたというしたたかな手応えがあったはずだ。それが四十代に向かう吉行淳之介の強固な自信となっていった。
吉行淳之介が抱くようになった自信の現れ方のひとつは、たとえば四十歳の時に書かれた「食卓の光景」の冒頭の一節に窺える。
食い物の話をしようとおもいます。といって、私はいわゆる食通ではない。しかし、食通風になることを、必要以上に恐れているわけでもない。
ここには、二重三重に張り巡らされた細やかな神経と、それと正反対の図太いまでの自負が露になっている。そして、その自負をこのように表現してしまうというところに、強固になった自信の存在が看て取れるのだ。これは、あたかもこの時期の吉行淳之介のひとつの宣言のようでもある。
きっと吉行淳之介は三十代の後半から四十にかけて「一番いい」と思える時期を過ごしていたのだろう。そしてそれは、単に「女」に関してだけのことではなく、「女」も「仕事」をも含んだ「人生」というものにおいてだったに違いない。
吉行淳之介は、なぜ『私の文学放浪』を書いたのかについて、《四十歳という区切のよい年齢においてこれまでの私の人生を思い返し整理することを、今後の仕事の方向づけとしたり養分としたりしようという虫の良い考えからであった》と述べている。多分、吉行淳之介は自分の手で吉行淳之介像を確定してみたくなったのだ。しかし、それはこの時期に確かなものとなった自信の存在なしには考えられないことである。
吉行淳之介の自信という時、忘れてならないのは自らの人生に対する腹の据え方が定まったことによって生まれた自信の存在である。
『私の文学放浪』を連載しているさなかに、吉行淳之介は宮城まり子と海外旅行をする。それはのちに『湿った空乾いた空』として文章化されることになるが、そこに次のような一節がある。
もしも、いつまでも私がMの咽喉に刺さっている小骨であったなら、別れ易かっただろう。しかし、幾年かの間に立場が逆になって、Mが私の咽喉の小骨になった。
そうなっては、男として見捨てるわけにはいかない。
そして、これと同じような人生への思い定め方は『私の文学放浪』にもいくつも存在するのだ。
吉行淳之介はこの『私の文学放浪』によって吉行淳之介の像をほぼ確定してしまった。ここで提出された吉行淳之介の像を世の中は受け入れ、また、吉行淳之介自身も以後の作品の中でそれを大きく変えることをしなかった。
自ら造形した像と世間の認知した像とが一致しているという幸せな時代の作品は、『暗室』で行きつくところまで行きつく。ここでは、主人公の「私」はほとんど等身大の吉行淳之介として登場してきている。「私」は吉行淳之介の像に支えられて存在し、やがて距離も関係も意味を失った女との関わりの中に消えていく。
だが、これ以後の吉行淳之介は文学的な「余生」を送っていたかに見える。
もし、吉行淳之介が生きていて、またタクシーでホテルまで送るという状況になったらどうだろう。あるいは、また同じ質問をしてくるかもしれない。その問い掛けは年少の者に対する一種の挨拶のようなものだったかもしれないからだ。しかし、それにしては、「いまが一番いいだろう」という言葉に籠もっていた感情には、単なる挨拶以上の生々しいものがあったような気がしてならない。
(一九九八年五月)
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