『新・旧銀座八丁 東と西』
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新・旧 銀座八丁 東と西 坪内祐三著
[レビュアー] 太田和彦(作家)
◆思い出を文献で跡付ける
銀座八丁を、中央通りを境に東西に分けた計十六章で、自らの銀座体験をまじえて変遷を考察した書。
古書古雑誌博捜に定評ある著者は、内田魯庵(ろあん)『銀座繁盛記』、篠田鑛造(こうぞう)『銀座百話』、安藤更生(こうせい)『銀座細見』、池田弥三郎『銀座十二章』等々や、自ら保存する銀座タウン誌『銀座百点』全バックナンバーなどにより、名建築や老舗店、料理屋、洋食、バーなどの創業、変遷、消滅を追ってゆく。大正十三年、銀座に初めて生まれたデパート松坂屋はアントニン・レーモンドの設計であり、戦後、地下階がダンサー四百人を擁する進駐軍慰安施設「オアシス・オブ・ギンザ」となっていたのを初めて知った。
私は昭和四十三年、銀座資生堂に就職して以来二十年、毎日毎晩銀座にいて、本書に出てくる裏路地や店はよくわかり、なじみの来歴を興味深く読んだ。
「わが青春のソニービル」、テアトル東京の湾曲する大スクリーン、名画座並木座の邪魔な柱の理由、昼飯は蕎麦(そば)よし田、洋食煉瓦(れんが)亭、残業飯はおでんお多幸、玉子サンドみやざわ、二日酔い覚ましの東京温泉、金春湯(こんぱるゆ)、なくなったシャンソン喫茶・銀巴里(ぎんパリ)、ビアホールはライオン派とピルゼン派に分かれ、資生堂宣伝部は後者。「銀座最古のバー『ボルドー』の終焉(しゅうえん)」を私も見届け、著者がとりわけ哀惜して書くバー・らどんなが駐車場になったのを発見した衝撃も共通する。往年の文士が通った料理屋や、自分の記憶にある店を丹念に探し歩くのは、単なる思い出話とはちがう実証性が貴重だ。
著者の銀座は名書店が並んでいた文化の街であり、品格と気骨の老舗の街であり、多くの文人作家に連れられて通ったバーやクラブのある街であったが、この二、三年にできた「現代風巨大ビルのどこがいいのだ?」と怒り、古き良き銀座もここまでかと嘆くのも同感だ。
明治開化以来あこがれの街である銀座を書いた文献の、おそらく大半を渉猟して跡付けた格好の一冊。読み終えると銀座を訪ねたくなる。
(講談社・1728円)
1958年生まれ。評論家、エッセイスト。著書『文学を探せ』など。
◆もう1冊
太田和彦著『銀座の酒場を歩く』(ちくま文庫)。粋な73軒を飲み歩く。