『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』
- 著者
- Guez, Olivier, 1974- /高橋, 啓, 1953-
- 出版社
- 東京創元社
- ISBN
- 9784488016661
- 価格
- 1,980円(税込)
書籍情報:openBD
ヨーゼフ・メンゲレの逃亡 オリヴィエ・ゲーズ著
[レビュアー] 冨重与志生(明治大教授)
◆伝説をはぎ、戦犯の卑小さ描く
ヨーゼフ・メンゲレ。伝説になりそこなったアウシュヴィッツ絶滅収容所の医師。彼は実験対象の双子たちには、親切を装い自分を「おじさん」と呼ばせた。しかし、「死の天使」とも呼ばれ恐れられた。ナチ高官ではなかったが、実働部隊として彼がおこなった人体実験等の非道さゆえに第一級の戦犯だった。
彼は用心深かった。アウシュヴィッツがソ連軍に解放される直前に逃げた。軍歴を偽り、偽名を使ってドイツ各地を転々とした後、南米へ逃れた。そしてついには、追跡の手をかいくぐって逃げおおせ、一九七九年ブラジル・サンパウロ州の海辺で病死する。
彼の死は直ちには公にならなかった。そのため一九八五年まで、まだ生きて潜伏していると信じられていたのである。この間何度か死亡の情報も流れた。さまざまな場所で目撃されたとのうわさも、今一歩で捕獲に失敗したという情報もあった。いずれも真偽不分明な話である。結果的に一九八五年までメンゲレは、そのような数多くの伝説めいたものに包まれていた。ほとんど神話になっていたとさえ言える。ナチ戦犯でありながら、モサドをはじめとする百戦錬磨の組織的追及をも見事にかわして南米に潜伏し、生き続けている「死の天使」。
本書は、このようなメンゲレを脱神話化することに成功したドキュメンタリー小説である。昨年フランスのルノードー賞を受賞した。
著者オリヴィエ・ゲーズは、史実を丁寧に踏まえ、メンゲレの南米への逃亡からその死までを、あらゆる伝説をはぎとるように描いた。
そこから見えてくるのは、何か超人的な能力を備えた「死の天使」ではない。裕福な家族の援助に支えられ、ナチ逃亡犯を援助する人々に、世界及び南米の政治情勢に助けられた人。それに用心深い上に小心だったことが加勢したが、一方また、それが彼からいかなる「生の喜び」をも奪わないではいなかった。
一切伝説をまとわない「悪の卑小さ」が、非常な説得力をもって描き出された作品と言うことができる。
(高橋啓訳、東京創元社・1944円)
1974年フランス生まれ。ジャーナリスト、エッセイスト、小説家。
◆もう1冊
アフィニティ・コナー著『パールとスターシャ』(東京創元社)。野口百合子訳。