【刊行記念対談】官軍が江戸に迫りつつある中、勝海舟は徳川家を守るべく西郷隆盛との和議交渉にすべてを賭ける。 『麒麟児』冲方丁×出口治明

対談・鼎談

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麒麟児

『麒麟児』

著者
冲方 丁 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041072141
発売日
2018/12/21
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【刊行記念対談】冲方丁『麒麟児』×出口治明


『天地明察』『光圀伝』『はなとゆめ』以来、冲方丁さんの5年ぶりの歴史長編となる『麒麟児』は、
「江戸無血開城」を成し遂げた勝海舟と西郷隆盛を濃密に描いた作品。
歴史に関する数々の著作を持ち、ライフネット生命の創業者でもある
立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんと、「無血開城」を達成した意味、
勝海舟の人物像などについて語り合いました。

額縁は「運命の二日間」

冲方 『麒麟児』では勝海舟と西郷隆盛の会談を柱に、近代日本の行く末を決定づけたと言っても過言ではない「江戸無血開城」に至った経緯を書きました。無血開城を取り上げたのは、個人的に好きなエピソードであるのと同時に、現代の我々が引き継ぐべき知恵がここにあると思ったからです。

出口 勝と西郷が対峙した二日間に焦点を定めて、物語をぎゅっと凝縮されたのはさすがの慧眼で、素晴らしいですね。実は、本書を拝読して、とあるアーティストの作品がふと脳裏を過りました。アニッシュ・カプーアというイングランドを代表する現代芸術家の「Sky Mirror」というオブジェです。これは直径五メートルほどのステンレス製の円形鏡で、それが公園にぽつんと置かれているのですが、上を向いているので鏡面にはずっと空が映っています。僕はこの鏡は空を切り取る額縁だと解釈したのです。ただ空を眺めるだけでは、「広いな、きれいだな」程度のぼんやりとした思いしか湧いてきませんが、五メートルの円形に区切られた空を見ていると、雲の流れや明暗の変化など、空のあらゆる事象に気づくことができる。冲方さんが、幕末の二日間に限定した物語を書かれたのは、これと同じ効果を狙ってのことだと推察しました。

冲方 うれしいご指摘です。おっしゃる通り、幕末は、その全てを書こうとすると、ただただ混乱した物語を提供する結果になりかねません。

出口 そうでしょうね。山ほどエピソードがある中で、あえて無血開城の前後に焦点を絞ることで二人の人物像がかえって鮮明に浮かびあがることを考えられたのではないか、と読みながら思っていました。

冲方 ありがとうございます。無血開城は、当時の平均的な日本人では持ち得なかった見識をいち早く獲得した、勝という傑物がいてこそ成し遂げられたことだと僕は考えています。幕末の人たちは、過去と現在に対する知性を持っている人は多いけれども、未来にまで目が届く人はごく限られていたように感じるのです。

出口 まさにその通りです。

冲方 しかし、勝は「倒幕後の日本はどうなるんだ」ということを繰り返し述べています。一方、西郷は勝ほどにはヴィジョンを語りませんが、要所要所で勝に呼応し、共感を示します。つまり、西郷も倒幕後の日本を深く考えていたからこそ、勝の持論を理解し、そこから逆算して今自分たちが何をして、何に備えなければならないかという発想にも至れたのではないか、と。

アメリカ国旗から読み取った哲学

冲方 編集者からは、勝がなぜそのような発想に至れたのかをわかりやすく表現してほしいというリクエストがありました。そこで色々考えた末に、アメリカ合衆国の星条旗のエピソードを入れるといいかなと思いついたんですね。

出口 あれは素晴らしいアイデアですね。

冲方 あのシーンに書いたように、勝たち遣米使節団一行が咸臨丸でアメリカに入国する際、軍艦奉行の木村喜毅は自分の家の家紋がついた旗を船に掲げようとします。しかし、勝は日本を代表する一行という意味を込めて、徳川家の葵の御紋にしなければならないと主張しました。結局、木村は自分の思い通りにしたわけですが、それが愚行であることに勝が気づけたのは、アメリカ合衆国という国を調査する過程で、政治体制はもちろんのこと、数々のシンボルを目の当たりにしていたことも大きかったと思うのです。アメリカ国旗は、一州一州を小さな星として表現し、それを寄せ集めた意匠にすることで、州全体を統合する合衆国を視覚的に表現しています。このシンボライズが勝を開眼させたのではないでしょうか。

出口 このくだりについては、勝がネーション・ステート(Nation State)、つまり国民国家という概念を会得していたことを象徴的に表した部分と読みました。「勝は、アメリカに行って、ネーション・ステートに気づいた」という一文にしてしまったら、読者はなんのことやらさっぱりわからない。しかし、ベネディクト・アンダーソンが言うところの「想像の共同体」を構成する仕掛けの一つである国旗のエピソードを持ってこられたことで、誰の腹にもすっと落ちるようになった気がします。

冲方 はい、そこをどう伝えたらいいだろうと悩んだ末に入れたシーンでしたので、真意を汲み取ってもらえてとてもうれしいです。勝であればそう発想し、理解しただろうと想像しました。しかし、当時の人々はまだまだ「日本人」という枠組みがピンとこない。逆に、それが響く人たちが、勝の派閥を築いていったのだと思います。出口さんも、ご著書の『明治維新とは何だったのか――世界史から考える』で触れられていましたが、勝の系譜をたどっていくと、佐久間象山という師はいるものの、やはり阿部正弘に行き着きますね。彼は大変な人物です。

出口 阿部正弘は渡航経験がないにもかかわらず「万機公論に決すべし」という発想をすでに持っていたという点でも、どれだけ時代を先取りした才人であったかがわかります。さらに、人材登用のうまさも突出していました。

冲方 出口さんが御本で指摘された通り、意見を集めすぎたきらいがなきにしもあらずですが、そのおかげで勝のような人物が在野から出てきたわけです。そういう動きが、僕にはもっともドラマチックに感じられます。

出口 明治維新は、基本的には幕府の少壮官僚が青写真を描いて日本を近代化しようとした流れであり、一番の功労者はグランドデザインを描いた阿部正弘です。そして、阿部正弘が育てた優秀な官僚の中に勝海舟がいて、彼をはじめとする優れた人々が明治国家を作り上げました。その意味で、明治維新の立役者は誰よりもまず阿部正弘であり、勝海舟であり、その思いを引き継いだ大久保利通でしょう。もちろん、西郷も入りますが、薩長は決してグランドデザインを描いたわけではないので、主要なアクターであっても、真の功労者とはいえません。

冲方 そうですね。蛤御門の変など、調べれば調べるほど愚の骨頂ですし。

出口 内乱はものすごく大変なんですよ。アメリカの市民(南北)戦争では約六十万人が死んでいます。それに比べれば明治維新は犠牲が少なかった方ですが、なぜそれが可能になったのかを書かれたのがこの物語ですよね。

無血開城を可能にした条件

冲方 はい。歴史上において江戸の無血開城に類するような出来事はほとんどありません。では、彼らはなぜそれほどのことをなし得たのか。単に偶然が積み重なったのか、流れでやむを得ずそうなっただけなのか、それとも誰かの明確な意志によるものだったのか、そこをまず知りたいと思いました。もし意志によって成し遂げられたとしたら、それこそ日本人の財産になる、今後我々が共有すべき知恵だと考えたからです。

出口 その点に関しては、やはり硬軟とりまぜて万全の準備をしていたという事実が重要だと思います。大規模な争いを無血で収めた例となると、世界史でもいくつか思い浮かびますが、一番いい例はせん淵の盟でしょう。一〇〇四年に、漢民族の宋とキタイ族の遼の間で結ばれた和平条約です。十世紀、五代十国時代から華北地方に領域を広げていた遼と、それ以上の侵攻を防ぎたい宋があわや正面衝突かというギリギリの状態に置かれた中で和約が結ばれ、百年以上続く平和の礎となったわけです。そして、条約締結成功の背景には、トップ同士による徹底したコミュニケーションと、万が一に備えての大軍の出動がありました。

冲方 武力による対抗手段を有していて、しかも相手にそれが伝わっている状態で、話し合いによる合理的な結論として、戦争が回避されたというわけですね。このような歴史上の出来事を我々はもっと知るべきだと思います。現代のギスギスした国家間の雰囲気においても、過去にあった好事例を知っているのと知らないのとでは、だいぶん違うのではないでしょうか。先ほど硬軟とりまぜてとおっしゃいましたが、幕末の戦いを調べていくと、武器がない藩や勢力は真っ先に攻められています。やはり防御が可能な備えはないといけないのでしょう。

出口 最低限の対抗手段は必要です。勝海舟の場合は、百万都市を焼く焦土戦術を切り札としてちらつかせましたが、同時に、海軍力では幕府が優位である事実も利用していますね。

冲方 そうなんです。手紙で相手方に、海軍力を使った戦術を披露しているんですよね。一列縦隊で迫ってくるところを寸断してやるぞ、と。ものすごい脅しであると同時に、目的が講和だから、戦術を明かしてもそう痛くはない。そして、その意図を相手方も理解する。お互い和戦両様のコミュニケーションをすることで、より良い道を模索していったのがとてもよくわかりました。

出口 模索が可能だったのは、勝、西郷が、このままでは日本は駄目になるという強い認識を共有していたからだと思います。その部分も本書では丁寧に書かれていますが、国家百年の計というとオーバーだけれども、ここで喧嘩をしたらろくなことにならないという方向性をトップが共有していたのは大きい。また、もうひとつ印象的だったのが、徳川慶喜の描き方でした。慶喜と勝が永く袂を分かつ場面では、ほんの少しのセリフで慶喜という人間を実に巧みに描いていますね。

冲方 慶喜も勝とは別の意味で先を読み、西郷とは別の方法で日本を守ろうとした人だと思うのですが、いかんせん本当に人の気持ちを考えない殿様だな、と。

出口 あれはたぶん、人の上に立つ身分に生まれた人の特質だと思います。

冲方 なるほど。全体を見ようとするあまりに、家臣一人一人の存在が希薄になるのでしょうか。

出口 天皇や将軍と呼ばれた人々が残したエピソードを見ていくと、無機質な冷たさがつきものです。それを慶喜の言葉を見て思い出しました。

無血開城の持つ意味

冲方 もっとも、勝にもそういう面がなかったわけではありません。甲陽鎮撫隊のことは、死ぬのがわかっているのに放り出していますし。西郷の場合は、俺が責任を取るよと言ってくれる人かなあという気がします。そこはだいぶん強調して書きましたが。

出口 西郷についても、冲方さんは大変上手に書かれていますね。勝が西郷の待つ屋敷に乗り込んでいく様子を描く過程で、西郷軍の統制がいかに取れていたかということを丁寧に描写されています。あの部分があるから、西郷がどれほどの名将で、いかに部下から慕われていたかが自然に伝わってくるのです。統制が完璧に取れているということは、西郷の威令がすみずみまで行き届いていることをおのずと示しているわけですから。ただ単に、「西郷は立派に軍隊を統率して、変な動きをする者はまったくいなかった」と書くより、兵隊たちの実際の挙動を書くほうが、かえって統率力の凄さを浮かび上がらせる結果になりますよね。それを意図されたのだろうなと感じました。

冲方 それもおっしゃる通りです。「西郷さん、かっこいい!」と書くより、西郷さんをかっこいいと思っている何百人の兵士を書くほうが読者には伝わると考えまして。

出口 大変よく伝わりました。

冲方 まあ、西郷も勝同様、冷酷な部分もありますが。たとえば、益満休之助を巡る二人のやり取りなんかすごくおもしろいですよね。西郷が企てた江戸破壊工作の張本人だった益満を、勝は使者に仕立てるじゃないですか。益満の行動なんて、現代では自爆テロ以外の何物でもないわけですから、西郷にしてみれば「テロリストとして死んでこい」と派遣した奴が生きて帰ってきたことになる。うろたえるに決まっています。

出口 益満を使えば、西郷に対して「お前のやった悪さは全部知っているよ」というメッセージにもなりますからね。

冲方 なんだかんだ、わりと平気で人の弱みを突っつくんですよね。二人とも(笑)。ただ、そうは言っても、日本を救った偉人であることは間違いありません。長らく鎖国をしている間に世界が大きく動いていたせいで、幕末の日本は相対的に大衰退状態になっていました。それを、よくぞ外国に乗っ取られもせず、無事に乗り切ったものだと思います。

出口 勝と西郷のおかげで、江戸が焼失せず近代に入れたのは僥倖でした。

冲方 本当ですね。江戸は世界的に見ても大都市でしたから、それが無傷で残ったことは、新しい時代にとってはものすごい財産となったはずです。明治政府が江戸抜きでやれたかというと、まず無理でしょう。

出口 都市はパワーの源泉です。なにより、大消費地があってこそ、はじめて経済が動くからです。

冲方 消費が保障される場所があるのは大きいですね。流通が確立され、商売や貿易が盛んになると余剰財力による都市生活や都市文化が生まれます。その生活や文化を守るために治安を守ろうとする。つまり、自然と治まっていくわけです。

出口 新しい明治文化の揺籃となる東京という大都市が温存されたからこそ、近代化もスムーズに運んだのでしょう。

冲方 その点でも、江戸の無血開城は、今後の僕たちが持つべき知恵がたくさん詰まった、歴史上の最高の出来事だったのだと思います。

 * * *

冲方丁(うぶかた・とう)
1977年岐阜県生まれ。96年『黒い季節』で第1回スニーカー大賞金賞を受賞してデビュー。2003年『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞受賞。09年に刊行した『天地明察』で第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞など数々の文学賞を受賞。12年『光圀伝』で第3回山田風太郎賞受賞。他の著作に『はなとゆめ』『マルドゥック・アノニマス』『テスタメントシュピーゲル』など多数。『十二人の死にたい子どもたち』は実写映画化され、2019年1月25日に公開される。

出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2008年に同社を退社。東京大学総長室アドバイザー、早稲田大学大学院講師などを務め、還暦でライフネット生命を開業。社長・会長を10年務める。18年より立命館アジア太平洋大学(APU)学長を務める。著書に『全世界史(上下)』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』、半藤一利との共著『明治維新とは何だったのか─世界史から考える』など多数。

取材・文=門賀美央子 撮影=ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2018年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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