物語であることを忘れて書かれた歴史が面白いはずはない――塩野七生 読者との対話1

イベントレポート

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中世最大の「事件」というべき十字軍戦争。二百年にもおよぶ、イスラム教とキリスト教の血みどろの闘争史を描いた日本ではじめての通史『十字軍物語』を書いた塩野七生さん。その文庫化を記念し、神楽坂ラカグで2018年12月に行われた読者との対話をここに再現する。(全4回)

塩野七生
塩野七生

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塩野 十六歳の時に図書館でホメロスの「イーリアス」を読んで以来、地中海世界に魅了されました。それからはお見合いの話が出る度に「あの辺りに駐在する人なら誰でもいい」なんて答えるくらい(笑)。二十六歳の頃に当時のフィアンセと「一年だけ」という約束を交わしてイタリアに渡りましたが、彼は心配になったのか、三ヶ月もしないうちに「イタリアに行って連れて帰る」と言い出すものだから、「約束とちがう」と答えたら、彼は怒って別の人と結婚してしまったので、日本に帰る理由がなくなってしまったんです。その後偶然に、これから中央公論の編集長になるんだという人と出会って、「“ルネサンスの女たち”という題をあげるから、何か書いてみなさい」と言われて、予期せず作家になってしまってから、もう半世紀が過ぎました。つまり私がこうして五十年もの間、地中海のことを書き続けているのは偶然の産物なんですね。何でこんなに続いたのか自分でもわからないのですが、お答えできることは何でもお答えしますので、どうぞ聞いて下さい。

読者A 私はやっぱり『ローマ人の物語』が一番好きです。読んでいた頃は皇帝の名前を順に言えました。

読者B 大学生のとき、書店で『ローマ人の物語』の紫色のきれいなカバーの文庫本を読んだのが、はじめの出会いでした。それまで西洋の歴史には無知でしたが、古代ローマやその人物たちに触れ、ものの考え方や人としてのあり方まで勉強になりました。

読者C 西洋社会の基盤である古代ローマ史を身近に知り、歴史や政治、経済はもとより人間とは何か、深く考えることができました。

塩野 私は不真面目な学生だったので、「教え説かれる」というのがひどく嫌いだったのね。だからそういうものは書きたくないし、読者にも私と一緒に考えてもらいたいと思っています。学者たちと作家である私と、題材について勉強する過程はまったく同じです。何がちがうかというと、学者たちは自分の知っていることを書きますが、私は自分が「知りたい」と思うことを書くということ。知っていることを書くだけでは「教え説く」になってしまいますが、私は読者と一緒に考えながら書いているのです。だから原稿を書く時でも「きっと読者はここで地図を見たくなるだろう」と思えば、原稿用紙の隅に「要・地図」とメモします。私はいわば「アマチュア」なんですね。
 それからもうひとつ。私は人間を「減点方式」で見るということがありません。「この人のいいところはどこだろう」と考えながら書きます。そして書くからには、絶対にその人間を愛します。といってそれは美点だけを愛するという類の愛ではありません。
 そしてその愛した人間を描き、完全に生かし切ろうと思うならば、その人間がどういう社会に生きていたか、どういう人間と会っていたか、どういう男たちに信頼されていたか、どういう男たちに裏切られたのか――そういうことをすべて描くことになります。周囲の人間もすべて描く。イタリア人とのハーフであるわが息子は「ママ、『ローマ人の物語』は“オペラ・コラーレ”だね」というんです。つまりオペラ合唱曲。ギリシャ悲劇でも「コロス」といって、合唱隊が重要な役割を果たしますが、私の書くものは合唱曲なのです。
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』という作品を書きましたが、「この男はあまりに近代的で、中世を代表させるのはいかがなものか」と批判されました。でも私は中世という社会、中世という時代と衝突し続けたフリードリッヒという男を書くことで、中世が描けると思ったのです。中世という、大きな合唱曲が書けるはずだと。
 私の作品は『ローマ人の物語』をはじめとして、すべて「物語」です。『ローマ人の歴史』というタイトルにすると学者たちが怒り出すと思いますが、歴史はやっぱり「物語」なんです。物語であることを忘れて書かれた歴史は、面白いはずがない。(2に続く)

新潮社 波
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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