無類に面白い虚構の数々が、東日本大震災を思い起こさせる

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椿宿の辺りに

『椿宿の辺りに』

著者
梨木香歩 [著]
出版社
朝日新聞出版
ISBN
9784022516107
発売日
2019/05/13
価格
1,650円(税込)

“個人的な痛み”と“土地の痛み”をつなげる「想像力の射程の長さ」

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 きっかけは「痛み」。主人公の〈私〉は、まだ30代にもかかわらず、いわゆる四十肩と呼ばれる肩関節周囲炎と頸椎ヘルニアによる疼痛と激痛に悩まされている。彼にはリウマチ性多発筋痛症を抱えた従妹がいて、祖父・藪彦(やぶひこ)につけられた名前はそれぞれ佐田山幸彦(さたやまさちひこ)(通称・山彦)、佐田海幸比子(うみさちひこ)(海子(うみこ))。

 梨木香歩の『椿宿(つばきしゅく)の辺りに』は、主人公の曽祖父母の頃からの持ち家で一族から実家と呼ばれながらも、長年にわたり他人に貸し続けていた古い屋敷を主な舞台にした物語になっている。鮫島宙幸彦(そらさちひこ)なる、祖父が名付けに関与したとしか思えない名を持つ店子から「賃貸契約を打ち切りたい」という手紙が届いたことや、自分と海子が抱える痛みが、かつて椿宿と呼ばれた土地にある実家に起因していることを示す不思議な出来事の数々に導かれ、〈私〉は生まれて初めて実家に足を踏み入れる。同行者は、海子に通院を勧められた鍼灸院の院長の、霊感がある双子の妹・亀子(亀シ)。物語の後半は、〈私〉が見聞する佐田家や土地の過去にまつわる因縁が描かれていく。

 屋敷の中庭にある稲荷を祀った赤い鳥居と祠。150年余り前に、実家で起きた凄惨な出来事。近所を流れる、治水のために暗渠にされた川。その工事で切り倒された大きな椋(むく)の木。仁和3年に起きた大地震。佐田家が神主を務めてきた神社がある山で起きた大噴火。〈私〉の遠縁にあたることが判明した宙幸彦の母・竜子(たつこ)が、幼い頃に藪彦から聞かされたという、古事記を下敷きにしたお話から浮かび上がってくる、兄弟の相剋をめぐるエピソードも絡めながら、物語は大きな構えをじょじょに明らかにしていくのだ。

 無類に面白い虚構の数々が、かつて起きた東日本大震災のような災害という現実を思い起こさせる。自然や土地が経験してきた痛みと、山彦・海子が抱える個人的な痛みをつなげる。その想像力の射程の長さが素晴らしい小説なのである。

新潮社 週刊新潮
2019年6月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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