流れといのち──万物の進化を支配するコンストラクタル法則

『流れといのち──万物の進化を支配するコンストラクタル法則』

著者
エイドリアン・ベジャン [著]/柴田裕之 [訳]/木村繁男 [解説]
出版社
紀伊國屋書店出版部
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784314011679
発売日
2019/05/13
価格
2,420円(税込)

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※書籍情報の無断転載を禁じます

「流れ」がもたらしたパラダイムシフト

[レビュアー] 橘玲(作家)

『流れといのち』の読後感はポストモダンの哲学者ドゥルーズ/ガタリの『リゾーム』(『千のプラトー』序)に似ていて、エイドリアン・ベジャンの提唱する「コンストラクタル法則」は、“異端の数学者”ベノワ・マンデルブロの概念「フラクタル」を思い起こさせる。これは私の思い込みなのかもしれないが、そこにはたしかに共通点がある。それは、「世界の根本原理」について述べていることだ。

 ドゥルーズ/ガタリは、この世界には因果律(ツリー構造)では理解できないなにかがあることに気づいて、悪戦苦闘の末にそれを「リゾーム」と名づけた。日本語では「根茎」と訳されるが、壁を覆う蔦(つた)やネズミの巣穴のように、ひとつの入口がいろいろなところにつながる網の目(ネットワーク)をイメージしていたようだ。――推測するほかないのは、ドゥルーズ/ガタリ自身がリゾームをうまく説明できず、その記述は誰にもわからないほど難解なものになっていったからだ。

 その後、マンデルブロが現われて、リゾームを簡潔に説明した。それがフラクタルで、ネットワーク理論では「複雑系のスモールワールド」と呼ばれている。

 雲や雪の結晶、リアス式海岸、カリフラワーなど、形状がものすごく複雑なものにも、よく見ると一定の法則性がある。マンデルブロはそれが、正規分布(ベルカーブ)ではなくベキ分布(ロングテール)に従うことを発見した。

 正規分布ではすべての事象が一定の範囲に収まるが、ベキ分布ではテール(尻尾)がどこまでも伸びていき、ほとんどの事象は平凡だがときおり「とてつもない」ことが起きる。これは、身長1メートルの小人たちのあいだに身長10メートルや100メートルの巨人がいるような奇妙な世界だ。緊密なネットワークではすべての要素がフィードバックし合うため、ささいな出来事(ブラジルで蝶がはばたく)がどのようなとんでもないこと(テキサスで竜巻が起きる)を引き起こすか、このいわゆる「バタフライ効果」は誰にも予想できない。

 マンデルブロは、ベキ分布こそが世界の根本法則で、正規分布(量子力学)はフィードバックが限定された特殊ケースで、フィードバックのないときにだけ因果論(万有引力の法則)が成立すると考えた。そして、地震(地殻変動)や洪水から株式市場の値動き、富の分布、さらには宇宙(銀河団の配置)まで、あらゆるところにこの法則が貫徹していることを、生涯をかけて証明しようとした。

 これはたしかにものすごいパラダイム転換だが、ドゥルーズ/ガタリは納得しなかっただろう。フラクタルを知らなかった彼らはリゾームを直観的に語ることしかできなかったが、それが「生成」するものであることに気づいていた。

 ネットワーク理論では、複雑系を「ハブ&スポーク」で説明する。ハブ空港を経由することで効率的な運航を可能にする航空会社の路線図がその典型で、たしかにわかりやすいが、これは静的な複雑系だ。ドゥルーズ/ガタリが幻視していた、不気味にうごめきのたうつリゾームの姿はそこにはない。

 あくまでも私の理解であることを念押ししたうえでいえば、エイドリアン・ベジャンはコンストラクタル法則によって、フラクタルに時間軸を導入し、その「生成」すなわち過去から未来への「流れ」を語ることを可能にした。

 ベジャンは、フラクタルはコンストラクタルと根本的に異なると断言しており、それについて私のような物理学の素人が口を挟むようなことではないと思うが、コンストラクタル法則がフラクタルと重なることは、前著『流れとかたち』の冒頭で北シベリアのレナ川の三角州と人間の肺の写真が並べられていることからもわかる。両者は典型的なフラクタル図形で、とてもよく似ている。

 ベジャンはマンデルブロに言及していないが、これは不思議でも何でもない。それが「世界の根本法則」であるなら、数学(統計学)から始めても物理学(熱力学第二法則)からスタートしても、まったく異なる道筋をたどって同じ場所に到達するにちがいない。

 ベジャンが成し遂げた大きなパラダイム転換は、人間と機械、生物と無生物に本質的なちがいはなく、すべては「流れ」のなかにあると考えたことだ。そこには、より速く、より遠くへ、よりなめらかに流れるという「目的」がある。よりよく流れるものは「よりよい」ものなのだ。

 こうして生物の進化は地球や宇宙の歴史(ビッグヒストリー)と一体化し、物理法則として完璧に理解できるものになる。そのとてつもないインパクトは、進化には(なめらかに流れるという)目的と価値、すなわち「意思」があることを示したことだ。

 生命も非生命も、この世界のすべてのものは「よりなめらかに流れる」という物理法則に従っており、よりよく流れるかたちを目指して進化していく。これが「コンストラクタル法則」だ。

 資本やモノ・サービス、人間が自由に国境を超えるグローバル化が進むと、GAFAのような「独占」企業やビル・ゲイツのような超富裕層が誕生するが、それは「よいこと」だ。なぜなら、経済がより大きな「流れ」になったことで、「ふつうのひとたち」もそれ以前よりずっとゆたかになったのだから。――このことは、市場のグローバル化にともなって「最貧国」だった中国やインドからぞくぞくと中産階級が誕生したことで証明された。

 このようにしてベジャンは「格差の拡大」を肯定し、「死とは何か」の章で、すべては大きな「流れ=生命」のなかにあり、個体の誕生や死に意味はないというニューエイジ的な結論に至る。ひと言でいってスゴい。

紀伊國屋書店 scripta
2019年6月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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