三島由紀夫スポーツ論集 佐藤秀明編
[レビュアー] 後藤正治(ノンフィクション作家)
◆鍛錬、冒険を求める精神
三島由紀夫のスポーツにかかわる随筆・評論集である。一見、三島とスポーツはほど遠いようだが、東京五輪の開・閉会式や競技のレポート、剣道やボディ・ビルなどの体験記、ボクシング観戦記など、雑多な短文を各紙誌に寄せていた。いま読んでも新鮮な一文があり、さらに三島のもつ思想と志向がよく示されている論考があって、さまざまな思いに誘われる。
少年期の三島は「アオ白」と呼ばれる虚弱児であり、ずっと胃痛もちの文学至上主義者だった。三十代に入ってボディ・ビルをはじめ、一転、“肉体派”へと変身する。
「知的なものは、たえず対極的なものに身をさらしていないと衰弱する。自己を具体化し肉化する力を失うのである。私がスポーツに求めているのは、さまざまな精神の鮮明な形象であるらしい」
「神輿(みこし)」を論じた文では、もともと陶酔という精神に冷淡であったのが、「ようやくあらゆる種類の陶酔に身を委(まか)せようと私が決心したのは、青年期も終(おわ)りに近づいてからである」とも書いている。
三島が一般に記憶されているのは、華麗なる文芸作品群よりも陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で起こした、異様な不可解さを伴った自裁劇であろう。三島四十五歳の日であった。
本書に「太陽と鉄」という長文の「告白的評論」が収録されている。自裁する二年前にまとめられたもので、幼年期、敗戦期、文武両道、自衛隊機「F104」への同乗などに触れつつ、精神と肉体にかかわる形而上的な思いを記している。三島はさまざまな肉体的鍛錬や冒険的行動に励みつつ、それらを固有の美意識で飾らずにはおれない人だった。
本書を編集した三島の研究者、佐藤秀明が解説文を寄せている。この時期の三島には「はじめから死が直観されており、そこから逆算され、死に至る論理が構築されたにちがいない」と指摘しているが、その通りだと思える。
この位置からはもう<あの日>がほど近い。本書は三島のもつ本質的なものを解く格好の書ともなっている。
(岩波文庫・799円)
1925~70年。小説家。著書『潮騒』『金閣寺』『豊饒(ほうじょう)の海』など。
◆もう1冊
三島由紀夫著『鏡子の家』(新潮文庫)。ボクサーの青年らが登場する物語。