天才物理学者の日記にみる日本の「今」と「昔」

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天才物理学者の日記にみる日本の“今”と“昔”

[レビュアー] 成毛眞(書評サイト〈HONZ〉代表)

 1922年(大正11年)11月17日アインシュタインは神戸港に到着した。この日は京都の都ホテルに宿泊。日記には「下の町はまるで光の海。強烈な印象」「日本人は簡素で上品、とても好ましい」と綴っている。

 アインシュタインが特殊相対性理論と光量子仮説を発表したのは1905年。26歳のときだった。自身のノーベル物理学賞受賞を知ったのは日本への船上だった。さぞかし楽しい旅になったことであろう。

 そのためか、到着翌日の日記には「すばらしい由緒ある日本建築(中略)。通りにはとてもかわいらしい生徒たち」「村々は好ましいし清潔」「土地は念入りに耕作されている」と好印象なのだが、それに続けて「ジャーナリストたちが列車内に。いつもどおりばかげた質問」と書いている。日本の美しい風景などの古き良き伝統は失われつつあるのかもしれないが、愚かなジャーナリズムは現代のワイドショーにいたるまで、連綿と続いているようだ。

 12月5日には中禅寺湖に向かっている。「日本人はイタリア人と気性が似ているが、日本人のほうが洗練されているし、今も芸術的伝統が染み込んでいる。神経質ではなくユーモアたっぷり」。いやはや現代日本人としては耳が痛い。

 おおむね日本について好印象なのだが「ここの国民は知的欲求のほうが芸術的欲求よりも弱いようだ」や「財界の人がいる。ずるがしこい」など、これまた日本の悪しき伝統だったのかとため息がでる。

 翌年1月1日に上海に到着したアインシュタインは中国人についてこう綴っている。「中国人は汚くて、苦しんでいて、無気力で、気はよくて、信頼できて、上品で――健康的だ」と書いている。現代中国人をみるにつけ、少なくとも無気力はまったく感じられないが、上品だというのはどうだろうか。健康第一。

 100年ほど前の天才の日記。何を読み取るかは読者のセンス次第だ。

新潮社 週刊新潮
2019年7月11日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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