アメリカと日本、それぞれのコミュニティの暗部に触れた社会派ミステリー

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横浜1963

『横浜1963』

著者
伊東, 潤, 1960-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784167913137
価格
803円(税込)

書籍情報:openBD

アメリカと日本、それぞれのコミュニティの暗部に触れた社会派ミステリー

[レビュアー] 角野信彦(マンガ新聞レビュアー)

「はっぴいえんど」というバンドがいた。彼らは1969年にデビューし、約3年の活動とわずか3枚のアルバムを残して解散してしまった。
 メンバーには、後にYMOを立ち上げる細野晴臣や80年代のアイドルのポップスを作詞で席巻した松本隆がいた。そして「日本語をロックにのせる」というコンセプトを標榜していた彼らのラストシングルが『さよならアメリカ さよならニッポン』だった。この曲には、タイトルが示すように、日本では「なぜロックなのに英語でやらないのか?」と言われ、自分たちが憧れていたアメリカに行ってレコーディングしてみると、自分たちの日本人性が異質と受け取られてしまった彼らの不安感のようなものが漂っている。当時の彼らの切実な心境を歌っている。

 なぜこんな話題で文章を始めたかと言うと、伊東潤『横浜1963』に登場する日本とアメリカの境界線上にいる主人公たちが、協力して捜査にあたるミステリー小説だったからだ。
 主人公のひとり、ソニー沢田は日本人娼婦と外国人との間に生まれた金髪の日本人、もうひとりがアメリカに移民した日本人の両親をもつアメリカ人軍属のショーン坂口。迷宮入りしそうな事件を日本側、アメリカ側のそれぞれのコミュニティの暗部にふれながら捜査を進めていく物語である。

 世の常だが、境界線上にいる人間ほど、コミュニティに対する忠誠心を見られている。だから、この主人公たちは自分が属するコミュニティの内部でさえ異分子と見られ、白人至上主義などの偏見が引き起こす捜査妨害など、コミュニティの理不尽を経験してしまう。

 米軍にとっての正義、白人にとっての正義、米国人にとっての正義、警察にとっての正義、日本人にとっての正義が複雑に絡み合い、正義が人にとって、社会にとって相対的なものであると嫌という程思い知らされる主人公たち、それは著者の伊東潤がしかけた現代の社会や人間関係の相似形だろう。

 自分の所属するコミュニティで認められない種類の「正義」の実行は、必然的に実行者に疎外をもたらす。アメリカでも西部の街で地場の悪党を退治するのはたいてい流れ者のガンマンだし、日本なら木枯し紋次郎であり水戸黄門である。いかにコミュニティの内部にいる人間たちがしがらみに囚われ、自分たちの「正義」さえ実行することが難しいかがわかる。

 だからこそ、伊東潤が描くこの小説の主人公たち、日本とアメリカの境界線上にいる男たちが自分の将来や命までも顧みずに「正義」を追いかけていく姿は実に爽快で、カタルシスがある。このふたりとまたどこかで再会したい、そんなことを思わせるミステリーであり、冒険小説である。

 もうひとつこの小説の魅力をあげるとすれば、1963年という時代なのではないだろうか。経済的には1961年から始まった所得倍増計画が、計画を上回るスピードで賃金を伸ばし、1967年にははやくも「倍増」という目標を達成した。横浜では、鶴見で161人が死亡する列車事故が起こる。後のロッキード事件で「黒幕」として名を馳せる児玉誉士夫が、関東のヤクザ組織を集めて反左翼組織を作る過程で、後の指定暴力団、稲川会の前身の錦政会が、山口組の下部団体と横浜の山下町で抗争を起こしたりしている。

 そんなことを思いながら、この物語に描かれている1963年の横浜のディティールを追いかければ、あっというまにその世界に沈み込んでいく。
 時代小説だけじゃない伊東潤の魅力を発見するだろう。

CORK
2019年7月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

CORK

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