『百鬼園 戰前・戰中日記 上』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
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『百鬼園 戰前・戰中日記 下』
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百鬼園 戰前・戰中(せんぜんせんちゅう)日記(上)(下) 内田百〓(ひゃっけん)著
[レビュアー] 武藤康史(評論家)
◆『焼盡』までの空白埋める
内田百〓の新しい本が出た。これまで公刊されたことのなかった日記である。
百〓の日記はすでにさまざまな形で本になっていた。中学から大学にかけての恋愛中心の日記は『戀文(こいぶみ)・戀日記』、三十歳前後の鬱屈(うっくつ)した数年間の日記は『百鬼園日記帖(ちょう)』『続百鬼園日記帖』、昭和十九年十一月以降は『東京焼盡(しょうじん)』、そのあと昭和二十四年までは『百鬼園戦後日記』というように…。百〓の小説や随筆とも地続きのような書き方の日記はどれも面白い。『新輯(しんしゅう) 内田百〓全集』(福武書店)には昭和四十四年までの日記が収められている。
新刊の『百鬼園 戰前・戰中日記』は昭和十一年一月一日から十九年十月末日までのもの。その次の日から『東京焼盡』の期間になる。『東京焼盡』は空襲に逃げ惑う日々の記録だが、こちらは筆一本で生きる文士の勤勉な生活の記録である。日々原稿を書いている。朝までかかったこともある。一方で原稿が「捗(はかど)らず」、あるいは「書けぬ」ということもある。そして原稿を出版社に持って行って原稿料を受け取ったり、あるいは持って行かずに前借りしたり、前借りを断られたり…。
昭和十四年から日本郵船の嘱託となって定収入を得た(文書の表記などについて相談に乗るという仕事だった)。水曜以外毎日、午後から出社したが、当初は四谷から東京駅近くまでタクシーで通勤していた。電車のほうが安上がりだが、電車は「人が大勢ゐて不愉快である」とは百〓らしい。
もともと小さな手帳(見開き二ページで一週間分)にカタカナでびっしり書いてあったものをひらがなにしてある。漢字も旧字体に揃(そろ)えてあり、『新輯 内田百〓全集』と同じ体裁で楽しめる。
この全集が完結したのは一九八九年だった。そのときの編輯者(へんしゅうしゃ)の一人が出版社を移籍し、翻刻も一人でこなして今回の出版が実現した。一人の編輯の鬼が、前の全集を三十年かけて増補したわけだ。今年は百〓の生誕百三十年。『百鬼園戦後日記』が中公文庫から出たばかりでもある。
(慶応義塾大学出版会・各4860円)
1889~1971年。小説家・随筆家。著書『冥途(めいど)』『阿房列車』など。
◆もう1冊
内田百〓著『百鬼園随筆』(新潮文庫)。師・夏目漱石の思い出などを軽妙に語る。
※〓は間の日が月