『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』
- 著者
- 根本裕幸 [著]
- 出版社
- ディスカヴァー・トゥエンティワン
- ISBN
- 9784799324813
- 発売日
- 2019/06/14
- 価格
- 1,540円(税込)
書籍情報:openBD
無意識に「幸せになれない道」を選択してない? 罪悪感の手放し方
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
なにかと自分を責めてしまったりするなど、罪悪感は私たちに重要な影響を与えます。
しかし、誰かを傷つけてしまったというようなわかりやすい罪悪感は別としても、そうでない罪悪感の場合、自分にそれがあることに気づいていないことも少なくないーー。
そう指摘するのは、『罪悪感がすーっと消えてなくなる本』(根本裕幸 著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者です。
私はカウンセラーとして、20年近くの間に、ほんとうにたくさんの方にお会いしてきました。その中で一番問題になる感情がこの罪悪感であることに気づいたのですが、意外にも自分が罪悪感を抱え、それによって苦しんでいる(=しあわせになれない)ことに、多くの方は気づいていなかったのです。
そのため私は、この罪悪感を手放し、自分をゆるすための方法を、あれこれと研究することになりました。(「プロローグ いつも自分をゆるせないのは、なぜ?」より)
罪悪感があると、自分を罰し、自分が幸せになれないような道を“無意識に”選択してしまいがち。
しかし、その罪悪感を少しずつ手放す(自分を許していく)と、不思議とその問題がよい方向に解決しはじめていくもの。
しかも、その罪悪感の裏側にある「愛」に意識を向けると、自分を肯定し、ゆるせるようになり、生きやすくなるのだとか。
そこで本書では、罪悪感について解説するとともに、その裏側にある愛に気づく方法、自分をゆるすアプローチなどを紹介しているというのです。
今日はそんな本書のなかから、STEP 2「今の罪悪感をすーっとなくす、自分のゆるしかた」に焦点を当ててみたいと思います。
すべての問題は、自分で起こしているのかもしれない
「自分の許し方」を紹介するにあたっては、「問題は自分自身がつくりだしたものである」という主体的な意識が大切なのだそうです。
一般的に「問題」は、「外」からやってくることが多いはず。そのため「夫が……」「会社が……」「親が……」「お金が……」と、自分以外の外側に問題があるように見えてしまうわけです。
外側に問題があるのだとしたら、自分は悪くないことになるので、「あなたが変わるべきだ」と他人や状況をコントロールしたくなるでしょう。
場合によっては自分を被害者のポジションに置き、相手を加害者に仕立て上げることもあるかもしれません。著者によれば、そうした態度が「他人軸」。
一方、「これは自分の人生なんだし、自分が主人公なんだから」と、自分を主人公にする生き方、考え方が「自分軸」。
自分軸で生きられると、前向きに人生と向き合うことができ、能動的になって、自分から動くことができます。
この状態はとても自由ですし、創造的です。相手やまわりの状況に左右されないので、いつも自分自身でいられます。(127ページより)
逆に「他人軸」でいると、相手を責めたり、コントロールしたりするため、不安で苦しい気持ちを感じるでしょう。しかし自分から動かなくていいので、ある意味では楽。
そのため私たちはつい、わかっていながらも他人軸になってしまうことが少なくないというのです。
たとえば「会社がもっと援助してくれたらなあ」「上司がもうちょっとしっかりしてくれればなあ」というようなことを思っているときは、「会社や上司が変わらなければダメだ」と考えているのですから、自分自身は変わらなくてもいいということになります。
しかし、そんなとき、それを「問題」にしているのは、ほかならぬ「自分自身」だと気づくことが重要。
会社も上司も、「問題に気づくためのスイッチを押してくれたにすぎない」と考えるべきだということです。
会社がどうというようなことは、その問題に気づかせてくれるきっかけであり、善意のボランティアだと解釈できるということ。
そしてその問題を乗り越えることで、さらに成長し、魅力的になり、自分らしい人生を歩めるようになるわけです。(126ページより)
「罪そのもの」を客観的に眺めて、自分を責めない
なにか問題が起きたとき、「これは自分のせいじゃないか?」と感じるのは、罪悪感がある証拠。
もともと自分の心のなかにあった罪悪感が、問題が起きたことをきっかけに浮上してきたことを示しているということ。
したがって、その罪悪感を癒すことで、その問題を解決することが可能になるわけです。
ただし、ここで忘れるべきでないのは、「自分のせいだ」ととらえて「自分が悪い」「自分がなんとかしなければ」とその問題を背負ってしまう必要はないということ。
なぜなら「自分のせいだ」と自分を責めることと、「自分に原因がある」と「自分軸」でとらえることは、まったく違うから。
罪悪感に支配されている状態だと、つい「自分のせいなんです」と自分を責めてしまいがち。
仮に周囲が許してくれたとしてもそこを抜け出せず、いつまでたっても罪悪感から解放されないことになってしまうということ。
いわば私たちは、仮に他人が自分を許してくれたとしても、自分が自分を許せない以上、その罪悪感から解放されないというわけです。
「自分に原因がある」と自分軸でとらえるということは、罪悪感にとらわれることなく、客観的に自分を見つめることです。 つまり、自分を責めることはしません。(141ページより)
ところが罪悪感はそこで巧妙に攻撃をしかけてくるのもので、そのひとつが、他者からの「あなたが悪い」「あなたのせいだ」などという指摘。
自分に原因があると受け止めている事象について、自分の責任だと主張されると、つい罪悪感を感じてしまったりするわけです。
とはいえそこで、「違うんです! 私が悪いわけではないんです! ただ原因が私にあるだけなんです!」などと主張したとしても、相手に理解してもらえるはずがありません。
それどころか、「なにを開きなおっているんだ」と相手を逆上させてしまうことになるかも。
そこで大切なのは、素直に「謝罪の意」を示し、しかし「罪悪感から自分を責めない」こと。そんな態度こそが、自分軸で問題と向き合う姿勢だという考え方です。
微妙な舵取りが必要とされるように思われるかもしれませんが、自分軸で生きられるようになると、「罪を憎んで人を憎まず」と自分自身に適用できるようになるといいます。(140ページより)
たしかに私たちは、知らず知らずのうちに罪悪感を抱え込んでしまっているのかもしれません。
多少なりとも自覚がある方は、本書を参考にしながら、罪悪感と距離を置く練習をしてみてはいかがでしょうか?
Photo: 印南敦史
Source: ディスカヴァー・トゥエンティワン